それがユニリーバだった。■~ウェイティング・リストができる~

 おはようございます。


薄暗い空の川崎の朝です。

雨が降ったりやんだり、

でもいくらか涼しいのはいいですね。


土曜日、今日も一日よろしくお願いします。

----------------------



∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬




パールブームは、

イギリスの会社もオランダの会社も

互いの風下に立つことを

嫌っていることを知っており、

その解決策として、

同一のトップマネジメントを持つ会社を

作るということを見つけ出した。



それは、

あのユニリーバであった、

と続ける。



その数年後、

パールブームは

オペルというドイツ人の兄弟が、

相続した自動車メーカーを経営できず、

また経営したくもないのに、

政府の意向と世論の圧力により、

ヨーロッパの他の国の企業に

身売りできずに

困っていることを知った。



そこで彼は、

オペルのGMへの売却を構想し、

その考えを初めにGM、

次にオペルに持って行って

まとめあげたのだった。



「その後彼には、


 クライアントになることを


  希望する会社のウェイティング・リストが


  できる有り様となった。」



(Ⅱヨーロッパ人々 10章 マーチャント・バンクの世界)

コメント

このブログの人気の投稿

■報復の天使のように■~力があるはずの分野~

■ゾフィー先生のまわりに輪■~生徒自身への関心~

■ハーケンクロイツを外した■~帽子をとっての一礼~