■″教育ある人間″が社会をつくる■~非人格的な存在ではない。~

おはようございます。
雨の月曜です。

統一地方選、概ね与党勝利。

安倍さんはより一層
強気の政治が容易になりましたね。


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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬




知識は、人の中に存在するものである。
従って、知識社会への移行とは、
その知識を持つ人間が
中心的な存在になることにほかならない。

ドラッカーは、その社会の主役は
”教育ある人間”であるとする。
そしてこの社会は、彼らに対して、
新しい挑戦、新しい問題、新しい課題を
提起するとする。

これまでの社会では、”教育ある人間”は、
単なる物知りの文化人として
敬意と冷笑の対象にすぎなかった。

しかし知識社会では、
この教育ある人間が社会の表徴であり、
基準であり、社会的モデルとなる。
そして、彼らが社会の能力を規定し、
社会の価値、信念、意志を体現することとなる。

 
「知識は、本や、データバンクや、

 ソフトウェアの中にはない。

 そこにあるのは、情報にすぎない。

 知識は、むかしから人間の中にある。

 人間が、教え、学ぶものである。

 人間が、正しく、あるいは間違って使うものである。」

~『プロフェッショナルの条件』
(Part5 自己実現への挑戦  2章’教育ある人間″が社会をつくる)



































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