■エリート探しは有害■~軽んじられる人々~
マネジメント開発にあらざるもの、3点。
◆セミナーに参加することではない。
◆人事計画やエリート探しではない。
◆人を改造するためのものではない。
2点目
◆人事計画やエリート探しではない。
マネジメント開発に当たって、一部のエリートを発掘して、
育てようとすることの誤りを指摘する。
なにが誤りか?
ドラッカーは、エリートとして育てられる対象とならなかった
人々のことを指摘する。
彼らは、組織から軽んじられたと感じ、落ちこぼれたと理解する。
そして、10年後の組織の仕事は、一部のエリートではなく
この大多数の人々がメインで行うこととなる。
そのとき、この多くの人々は軽んじられたことを覚えているため、
生産性は低く、新しいことへの意欲は湧かない。
一方、一部の選ばれたエリートの半分は、”口がうまいだけだった”
ことが明らかになる。
マネジメントは、もともと適する者がいるわけではない。
エリートとしてではなく、一人ひとりの強みを存分に発揮させ、
成果をあげさせるための能力や資質を開発しなければならないのだ。
「マネジメント開発は、人事計画やエリート探しではない。
それらのものはすべて無駄である。
有害でさえある。
組織がなしうる最悪のことは、
エリートを育成すべく他の者を放っておくことである。」
~P.F.ドラッカー「マネジメント」
(第5章 マネジャー 23 マネジメント開発)
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