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■変化のための仕組みをもつ■~知識のダイナミクス~

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おはようございます。 さわやかな青空が広がる川崎の朝です。 豪栄道が大関昇進、口上は「これからも大和魂貫く」。 ”大和魂”に我慢強さと潔さを込めたとのこと。 絶えて久しい日本人横綱を目指してほしい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 組織活動は、組織の強みを活かすために、 変化の仕組みを必要とする。   数年ごとに、あらゆるプロセス、 製品、手続き、方針について、 「もしこれを行っていなかったとして、今、これを始めるか」 を問わなければならない。 そして、答えがノーであれば、 「それでは今、何を行うべきか」を問わなければならない。 ドラッカーはさらに、組織は、 成功してきた製品、方針、行動について、 その延命を図るのではなく、 計画的な廃棄を行わなければならないとする。 「知識のダイナミクスは、組織に対し、   一つのことを要求する。  すなわち、あらゆる組織が、   変化のためのマネジメントを   自らの構造に組み込むことを要求する。  これは、あらゆる組織が、   自らが行っていることのすべてを  体系的に廃棄できなければならないことを意味する。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (第2章 新しい社会の主役は誰か)

■社会的なイノベーション■~体系的な学習を要求する。~

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おはようございます。 青空の広がる川崎の朝。 このところ、湿気が少なく 寝やすい夜が続いている。 しかし、昼間の暑さはひどい、 水分補給に気を付けましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ グーテンベルが作った印刷技術も、蒸気機関を印刷機に 利用するまでの400年間、 印刷技術そのものには実質上大きな変化はなかった。 新しい知識を生みだすものは、 科学や技術に限らず、 社会的なイノベーションのほうが 大きな役割を果たすことが多い。 そして、さらに、この40年間における最大の変化は、 技術的あるいは社会的なイノベーションが、 人に教え学ぶことのできる体系になったことだった。 この変化はこれからの50年間で、 300年前の印刷革命を上回る変化を遂げる。 知識社会が、知識労働者に対し、体系的な学習を 一生のプロセスにすることを要求するからである。 さらには、学習についての新理論が明らかになるからである。 「新しい知識を生み、古い知識を陳腐化させるものは、  科学や技術とは限らない。  社会的なイノベーションも同じように  重要な役割を果たす。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (第2章 新しい社会の主役は誰か)

■イノベーションは創造的破壊■~組織は不安定要因である。~

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おはようございます。 今日も快晴の朝、朝の涼しさは気持ちがいい。 しかし、日中は酷暑、ウナギでも食べて乗り切りましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 社会、コミュニティ、家族は、 安定を求め、変化を嫌う。 これらは安定要因である。 一方、組織は、イノベーションのために、 絶えざる変化を求めて組織されなければならない。 つまり、安定要因に対する不安定要因である。 またイノベーションを行う、 組織の機能とは、 ”知識の適用”である。 そして、この知識が持つ特質は、 それが急速に変化し、 今日の当然が明日の不条理となるところにある。 ドラッカーは、新しい組織社会では、 知識を有するあらゆる者が、 4,5年おきに新しい知識を 仕入れなければならないとする。 なぜなら、その知識に対して 最大の影響を与える変化は、 その知識の領域の外で 起こるようになっているからだ。 それができなければ時代遅れとなる。 「組織は、製品、サーービス、プロセス、  技能、人間関係、社会関係、  さらには組織自らについてさえ、  確立されたもの、習慣化されたもの、  馴染みのもの、心地よいものを  体系的に廃棄する仕組みをもたなければならない。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (第2章 新しい社会の主役は誰か)

■組織社会が直面する問題■~共同の課題に向けた結合~

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おはようございます。 昨日と異なり、 ずいぶん涼しい朝を迎えた川崎です。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 生産資源としての3要素(土地、資本、労働)は 二義的な存在であるが、 専門知識だけでは何も生み出さない。 ドラッカーは、今のこの転換期は、 2010年ないし20年まで続くとする。 この詳細を予測することは危険であるが、 今後いかなる問題や課題が存在するかについては、 かなりの程度明らかになっている。 ドラッカーは、この組織社会が直面する課題について、 次の事項が存在すると指摘する。  ・安定を求めるコミュニティと変化を求める組織間の緊張  ・個人と組織間の緊張  ・個人と組織間の責任関係  ・自律を求める組織のニーズと  共同の利益を求める社会のニーズとの間の緊張  ・組織に対する社会的責任の要求の高まり  ・専門知識をもつ知識労働者と、  チームとしての成果を求める組織との間の緊張 そして、これらの緊張は、 実際に問題が発生する場所や組織において 解決しなければならない問題であるとする。 「個々の専門知識はそれだけでは何も生まない。  他の専門知識と結合して、初めて生産的な存在となる。  知識社会が組織社会となるのはそのためである。  企業であれ、企業以外の組織であれ、  組織の目的は、専門知識を共同の課題に向けて結合することにある。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (第2章 新しい社会の主役は誰か)

■体系が技能を方法論に変えた。■~挿話を情報に変えた。~

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おはようございます。 快晴の川崎の朝。 連日の猛暑、昨日は熱中症で11人が死亡。 気を付けましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 知識と技能に関わるこの変化こそ、 知識の歴史における最大の変化である。 体系が技能を方法論に変えた。 つまり、エンジニアリングであり、 科学的、定量的手法であり、 医学の診断などの方法論であった。 このような一般知識から専門知識への重心の移行が、 新しい社会を創造する力を知識に与える。 この新しい社会は、専門知識と 専門家としての知識労働者を 基礎として構成される。 しかしドラッカーは次のとおり 深い問題を投げかける。 ”しかしそのとき、価値やビジョンや信条に関わる問題、 すなわち、社会を社会とし、 一人ひとりの人生を意味あるものにすることに関わる あらゆる種類の問題が生じる。 さらに、まったく新しい問題が生ずる。 専門知識の社会において、 真に教育ある人間の要件は何かという問題である。” 「それらの方法論は、個別的な経験を  普遍的な体系に変えた。  挿話を情報に変えた。  技能を、教え学べるものに変えた。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■何をなすか、いかになすかの道具■~体系化された専門知識~

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おはようございます。 飛行機事故は続くという。 それぞれが直接関係しているわけではないが、 影響すること、共通するものがあるのかもしれない。 バタフライエフェクト。 いぜれにせよ、バカンスシーズンで、 飛行機利用の機会も増える時期。 なにごともなく収まって欲しい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 2000年以上の間、西洋の学問を支配し、 知識を規定したものは、 論理、文法、修辞である。 それらは、何を言うか、いかに言うかの道具であって、 何をなすか、いかになすかの道具ではなかった。 今や知識は、それが知識であることを 行為によって証明しなければならない。 行動のための情報であり成果に合わせた情報である。 しかもこの知識は、成果を生むために 高度に専門化していなければならない。 古代、このような専門知識をテクネ つまり技能の地位に貶めた理由がここにある。 テクネであったために、それらの技能は 学ぶことも教えることもできず、法則もなかった。 専門化されすぎていて、 学習できず、経験でしか得られないものだった。 教育によってではなく、 訓練でしか得られないものだった。 「今日、われわれが知識とするものは、  行動のための情報、   成果に焦点を合わせた情報である。   その目的とするものは、人間の外、   社会と経済、さらには知識そのものの   発展にある。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■新しい社会を創造する力■~一般知識から専門知識への移行~

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おはようございます。 梅雨明け後、連日の猛暑。 熱中症で病院に運ばれる人が絶えない。 昨日一日で全国で735人、死亡1人。 自分だけは大丈夫と思ってはいけない。 注意しましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 知識への移行の三段階、 ”産業革命”、”生産性革命”、”マネジメント革命”。 この根底にあったものが、知識における意味の変化だった。 こうして、知識の重心は、 一般知識から専門知識へと移行してきた。 かつての重要とされた知識とは一般知識であり、 教育ある人間、教養人が持つものであった。 彼らは、ゼネラリストだった。 様々なことについて 話し、書くために必要なことを知っていた。 そして、様々なことを理解するために 必要なことも知っていた。 しかし彼らは、何かを行うために 必要なことは知らなかった。 これに対し、今日知識とされているものは、 必然的に高度の専門知識である。   「夕食の客には教育のある人がよい。  しかし砂漠では、教育のある人よりも  何かのやり方を知っている人が必要だ。  教育ある人間はいらない。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■知識が資源の中核になった■~社会の構造を根本から変える。~

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おはようございます。 梅雨の明けた関東地方、暑い日が続きます。 熱中症に気を付けましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ マネジメントが、一つの仕事として理解され始めたのは、 第一次大戦後であり、 体系としてのマネジメントが現われたのは、 さらに第二次大戦後のことである。 第二次大戦前後、経営管理者とは、 「部下の仕事に責任をもつ者」と定義され、 それは、ボスであり、地位と権力を意味した。 多くの人は今でもこのイメージを 持っていると思われる。 しかし1950年代の初めに、 「他の人間の働きに責任をもつ者」と定義された。 これさえ、狭義である。 正しくは、 「知識の適用と、知識の働きに責任をもつ者」である。 この定義の変化は、知識が中心的な資源と 見られるようになったことを意味する。 土地、労働、資本がなければ、 知識は、何も生み出せない。 マネジメントもできない。 しかし、制約条件でしかない。 それらの資源はいつでも 手に入れられるようになっている。 「知識が単なるいくつかの資源のうちの一つではなく、  資源の中核になったという事実によって、  われわれの社会はポスト資本主義社会となる。  この事実は、社会の構造を根本から変える。  新しい社会の力学を生みだし、  新しい経済の力学を生む。  そして新しい政治を生む。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■マネジメントとは何か■~組織に備わるべき特有の機能~

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おはようございます。 梅雨明けの関東地方ですが、 窓からは 涼しい風が入ってくる川崎の朝です。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬   多くの人にとって、マネジメントと言えば 企業経営を意味するが、 理由は、単にマネジメントが最初に現われたのが 大企業だったからにすぎない。 しかし、あらゆる近代組織において、 マネジメントの必要性が明らかになっていった。 NPOであれ政府機関であれ、 企業以外の組織においてこそ、 マネジメントがいっそう必要とされている。 マネジメントが企業に限定されないことが 最初に認識されたのはアメリカだった。 今日、この認識は、あらゆる先進国において 受け入れられている。 今やわれわれは、マネジメントが、 その組織の使命に関わりなく、 組織に備わるべき特有の機能であり 機関であることを知っている。 したがって、マネジメントは知識社会 そのものにとって不可欠のものである。 「マネジメントは、  大むかしからいたるところに存在してきた。  私はよく、もっとも優れた  もっとも偉大な経営者は誰か、  と聞かれる。  それに対して、4000年前に初めてピラミッドを  構想し、設計し、建設した人であると答えている。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■知識が経済の中心になった■~変化の最終段階~

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おはようございます。 薄曇りの川崎の朝ですが、 今日は関東地方も梅雨明けとなるでしょう。 3連休も終わり、仕事。 頑張りましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 現在、正規の教育によって得られる知識が、 働く個人と、経済活動の中心的な資源である。 知識だけが意味ある資源とまで言える。 人モノカネは、二義的な要素に過ぎない。 それらは、知識さえあれば入手可能で、 しかも簡単に手に入れられる。 このような新しい意味における知識とは、 社会的、経済的成果を実現するための手段としての知識、 効用のある知識である。 ドラッカーは、これが知識の変化の第三段階、 ”最終段階”であるとする。 「新しい意味における知識とは、効用としての知識、  すなわち社会的、経済的成果を実現するための手段としての知識である。  この変化は、それが望ましいかどうかは別として、  もはや元に戻すことのできない一つの変化、  すなわち知識を知識に適用した結果である。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■テイラーの予言■~成果は労働者の分け前~

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少し遅めの、おはようございます。 九州北部が梅雨明け、関東地方も本格的な夏近し。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 生産性の爆発的な向上により、 労働者の医療や教育への費用も増大した。 テイラーの予言どおり、生産性の伸びのほとんどは、 マルクスのいうプロレタリアの分け前となった。 ヘンリー・フォードは、低価格車T型フォードを世に出したが、 この「低価格車」というのは、他社の自動車の価格と比べての話にすぎず、 当時の工場労働者にとっての、3年から4年分の収入に相当した。 今日、アメリカ、日本、ドイツにおいては、より短い労働時間で、 低価格車8台分の年収を得ている。 「生産性の伸びの成果は医療や教育にも現れた。  かつてGNPのほとんどゼロ%だった医療費が、  先進国では8%からて10%に増大した。  GNPの2%だった教育費が、  10%以上に増大した。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■経済発展のための唯一の原動力■~生産性の爆発的増大~

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おはようございます。 青空の見えない朝が続く川崎。 学校の夏休みも始まった3連休中日、 東京地方の天気は今日も不調です。 川内原発が再稼働に向けたスタートが切られた。 福島原発は未だコントロールされていない状況の中、 一気呵成に原発再稼働に向かってしまうのか。 ここでも、国民の意思が疎外されている。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 第二次大戦までの、イギリス、アメリカ、ドイツは、 新技術におけるリーダーシップによって勃興し、 日本、韓国、台湾、香港、シンガポールなどの アジア諸国は、テイラーの訓練によって勃興した。 これらの国々は、この訓練の成果として、 工業化以前の低賃金の労働力に対し、 世界一流の生産性を与えることができた。 第二次大戦後、テイラーの方法論を基礎におく訓練は、 経済発展のための唯一の原動力となった。 機械化は生産能力の増大をもたらしていたが、 働く者白身は、生産性を向上させていなかった。 テイラー以降、肉体労働者の生産性が 年率3.5%ないし4%で伸び始め、 18年で倍増するに至った。 この前例のない生産性の伸びが、 先進国における生活水準と生活の質の向上をもたらすとともに、 働く者の自由時間の増大をもたらした。 「仕事への知識の適用が、生産性を爆発的に増大させた。  物を作ったり運んだりする労働者の能力は、  数百年にわたってまったく進歩していなかった。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■生産性を爆発的に増大させたもの■~最大の福音は、教育訓練。~

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おはようございます。 今朝も雲の多い、すっきりしない川崎です。 三連休ですね、天気の急変に気を付けて、 事故の無いように気を付けてください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬  テイラー最大の功績は「教育訓練」であり、 これが生産性を爆発的に増大させた 100年前、高度な製品の製造に必要な技能を手に入れるには、 100年の年月を要していた。 1840年、蒸気機関をつくるドイツの徒弟制度においても、 熟練工の養成には3年から5年を要した。 ところがアメリカは、このテイラーの方法論を「教育訓練」により 導入することによって、わずかな数か月の期間に 工業生産量が飛躍的に増進した。 「アメリカは、第一次大戦中、そして特に第二次大戦中、  数か月で第一級の工員を養成するために、  テイラーの方法論を体系的に導入していった。  このことは、日本やドイツとの戦争に勝利するうえで、  最大の要因となった。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■受益者は、資本家ではなく労働者■~豚と呼ぶのが口癖だった。~

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おはようございます。 今朝も薄暗い川崎です。 明日から三連休、夏休も始まりますね。 天候の急変にお気を付けください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ テイラーは、分析によって得られたマニュアルどおり仕事をすれば、 誰でも第一級の工員としてその賃金を保証されることとなり、 それまでの熟練労働者の賃金を得られるようになるとした。 この時代のアメリカでは、 兵器工場と造船所の労働組合が尊敬の的だった。 テイラーの考えは、この労働組合に対する正面攻撃となり、 彼らはテイラーへの非難中傷だけでなく、 作業分析の禁止を法制化させた。 彼は、資本家を豚と呼ぶのが口癖だった。 労働組合を怒らせただけでなく、 資本家とも敵対した。 ”科学的管理法の最大の受益者は、 資本家ではなく労働者でなければならない” とした。 資本家の怒りを買ったのは、 仕事の分析は、少なくとも労働者の意見を聞いて 行うべきであるとしていたところにもあった。 この経営者への要求は、資本家にとっては、 異教とも呼べるものであり、 彼は、扇動家、社会主義者として攻撃されることとなった。 「工場における権威は、所有権ではなく  知識の優越性に基づかなければならないとした。  言い換えると、今日われわれが  プロの経営者と呼ぶものを要求した。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■熟練なるものは存在しない■~砂をシャペルですくう努力~

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おはようございます。 薄雲の川崎の朝。 九州で梅雨明け、関東地方も間もなくだろう。 いよいよ暑い夏に突入する。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ テイラーは、知識に関わる歴史において、 最も大きな影響を与えた者と言えるが、 同時に、彼ほど意図的に誤解され、 言葉が誤用された者もいなかった。 その原因は、彼の見解が正しく、 他の知識人が誤っていることを証明されたことにより 反感を招いたことにある。 他の知識人には、仕事に対する軽侮の考えが根強く残っていたのだ。 テイラーの分析活動は、砂をシャペルですくうことに似ていた。 しかし、このテイラーの苦境を招いた本質的な原因は、 仕事の研究に知識を適用したこと自体にあった。 このことは、特に労働組合にとって、 許せるものではなかった。 単純労働は、熟練ではなく、知識によってこそ その生産性を高めることができる としたことにある。 ”労働組合にとって、彼の罪は、 熟練なるものは存在しないと断言したことにあった。” 「彼にとって、肉体労働に関しては仕事があるだけだった。  そして仕事のすべてが分析可能だった。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■労働者のための生産性向上■~調和ある社会をつくること~

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おはようございます。 雲のせいか、暗い川崎の朝。 LINEが秋に上場予定で、総額1兆円規模。 関連株価も上昇するだろう。 ふた昔前にNTT上場で、わずかにしろ、 おいしい思いをした人は多いだろう。 そこには実態価値があった。 しかしLINEの実態価値はどうだろう。 ICTは技術発展のスピードが速い、 消費者の選好基準の移ろいも早い。 バブルに踊らされないように。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ アメリカ人、フレデリック・ウィンスロ・テイラーは、 仕事そのものの研究、分析に知識を応用した。 彼は、資本家と労働者の間の憎しみをみて、 この分析にとりかかった。 そして、彼は、マルクス達が見なかったもの、 すなわち労使対立が無用であることを見た。 労働者がより多くの収入を得られるようにするために、 生産性の向上に取り組んだ。 企業のための効率向上や、 資本家のための利益ではなかった。 生産性向上の成果を受けるべき者は、 資本家ではなく労働者であるとの考えを貫いた。 ドラッカーは、今日のところ、 この考えにもっとも近かったものは、 第二次大戦後の日本の経営者と 労働組合だけであるとする。 「彼の動機は、資本家と労働者が、  生産性の向上に共通の利益を見出し、  知識を仕事に適用することによって、  調和ある社会をつくることだった。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■何がマルクス主義を打ち破ったのか。■~技術が意味するもの~

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おはようございます。 今日も雲の多い、すっきりしない川崎の朝。 滋賀県知事選、嘉田元知事の後継指名を受けた 民主党前衆議三日月氏が当選した. 集団的自衛権に関する世論調査は、 首都圏新聞社と地方新聞社で大きく異なる。 地方の声は、反対意見が多い。 そのひとつの象徴かもしれない。 自民党は、ネガティブインパクトにはならないとの構えだが、 地方選が続くとその結果は顕著になるかもしれない。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬   それでは、なにがマルクス主義を打ち破ったのか。 ドラッカーは、それを生産性革命だとする。 資本主義の矛盾、プロレタリアの疎外と窮乏化という概念、 そしてプロレタリアそのものをなくしたのが、生産性革命だった。 有史以来、仕事を実地に観察し分析する者はいなかった。 仕事は、上流階級の注目に値するものではなく、 奴隷が行うことだった。 そして、より多くを生産するための唯一の方法は、 ”より長く働かせるか、より激しく働かせること”だった。 マルクスの仕事に対する認識もまたしかり。 「仕事そのものは、人類の誕生以来常にあった。  実際、人類のみならず、あらゆる動物が、  生きていくために仕事をしなければならない。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■新たな秩序の誕生■~スピードゆえの傷~

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おはようございます。 雲の多い、すっきりしない川崎の朝。 奄美地方が梅雨明け、例年より2週間遅いらしい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 産業革命と資本主義に対する抵抗は世界中で見られた。 この前例のない転換の速度が、 新たな秩序の誕生をめぐる社会的緊張と対立をもたらした。 しかし工場労働者が、工業化以前よりも生活水準が低く、 辛い生活を送らざるをえなかったという通念は、 事実に反することを知っている。 生活は辛かったが、 田舎社会の底辺にとどまるよりも楽であり、 以前よりも高い生活水準を手に入れた。 工業化は、マルクスのいう窮乏化ではなく、 物質的な改善を意味した。 その変化のスピードゆえの傷は避けられなかったのだ。 マルクスによれば、新しい階級としてのプロレタリアは、 疎外され搾取され続けるはずだった。 この予言が間違っていたことは明らかであるが、 それは今だから言えることにすぎない。 当時多くに知識人は、資本主義の矛盾についての マルクスの分析を受け入れていた。 「工業化は最初から、マルクスのいう窮乏化ではなく、  物質的な改善を意味した。  変化のスピードは速かった。  したがって、その変化のスピードゆえの傷は避けられなかった。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■産業革命の本質■~社会と文明の転換~

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おはようございます。 昨日は、真っ青な空、真夏の一日でしたが、 今日は雲の多い、すっきりしない川崎の朝。 海や川での事故が増えてます、 お気を付けくださいね。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 1700年以降、わずか50年間に、 テクネに体系を表わす接尾語ロジーを付けた テクノロジー(技術)が発明された。 この技能から技術への劇的な変化を示すものが 徒弟にならなくとも技能技術者になれることを目指した 『百科全書』である。 書いたのは、情報の専門家者たちである、 ヴォルテールやルソーである。 数千年にわたって発展してきた秘伝としてのテクネが、 初めて収集され、体系化され、公開されたのである。 これこそ、技術によって世界的規模で引き起こされた 社会と文明の転換の本質だった。 この技術変化の速さは、 職人では賄えないほどの資金需要を生じさせ、 量産のための工場を必要とした。 こうして、生産活動がほとんど一夜にして、 技能中心から技術中心になった。 そして、一夜にして、資本家が経済と 社会の中心に入り込んできた。 「経験を知識に、徒弟制を教科書に、  秘伝を方法論に、作業を知識に置き換えた。  これこそ、やがてわれわれが産業革命と呼ぶことになったもの、  すなわち、技術によって世界的規模で引き起こされた  社会と文明の転換の本質だった。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■知識が意味しないもの■~効用を与えるものは、テクネ~

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おはようございます。 まだ雲の多い川崎の朝です。 さっき4時40分福島沖で地震発生、 岩手の一部に津波による避難勧告が出た。 特に大きな津波の様子は見られないが、 十分な注意が必要、 地域の方はお気を付けください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ プラトンの時代以降、知識の役割についての理論は、 二つしか存在しなかった。 一つは、ソクラテスが示した、自己認識、つまり自らの知的、 道徳的、精神的成長にあるとしたもの。 もう一つは、プロタゴラスの、何をいかに言うかを知ることにあるとしたもの。 このように、知識が意味するものは異なっていたが、 知識が意味しないものについては完全な一致があった。 知識は、行動につながらず、 なにものも生み出すことはないということである。 それらをなし得るものは、技能(テクネ)だった。 テクネとは、特定分野に関する処方箋であり、 例えば、ギリシャーシチリア航路について船長が知っていることは、 他の分野に応用できなかった。 そして、テクネは、言葉や文字では説明できず、 身をもって示すものを、徒弟となり、 経験を積むことでしか学ぶことはできなかった。 ”イギリスではクラフト(技能)という言葉がなく、 ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた。” 「知識は、行為に関わるものではなかった。  知識は、効用ではなかった。  効用を与えるものは、知識ではなかった。  それは技能だった。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■知識の意味が変わった■~関係のない数多くの発展の合成~

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おはようございます。 台風の影響は幸い少なかった東京地方だが、 各地で被害が出ている。 お見舞い申し上げます。 記録的、百年に一度、未曽有などと表現される 気象現象がこのところ多い。 認識の切り替え、心構えが必要ですね。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 歴史上の事件を見ると、その原因が一つであることは少ない。 それらは、たがいに関係のない数多くの発展の合成である。 資本主義を体制に変え、技術革新を産業革命にしたものも、 複数の関連性のない事象の合成だった。 カール・マルクスは、巨額の資本を必要とする蒸気機関が動力源となった結果、 生産手段が職人の手から資本家に移ったために、 資本主義が生まれたとした。 しかし、この変化が世界的な現象となった大きな要件は、 知識の意味が急激に変化したことにある。 「資本主義と技術革新が、  世界的な現象となるうえで欠かせない決定的に  重要な要件が一つあった。  それは、1700年ごろかその少し後、  ヨーロッパで広まった知識の意味における急激な変化だった。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■何が産業革命をもたらしたか■~知識の適用こそが源泉~

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おはようございます。 雲が多く、静かな川崎の朝。 各地で被害を出している台風8号の影響は まだこちらでは見られない。 週末にかけて、列島をゆっくり縦断することが予想される。 十分注意しましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬  1750年からの150年間に、 資本主義と技術革新は、新しい世界文明をもたらしたが、 それらは、あらゆる時代、地域で見られた。 しかし、この150年間の資本主義と技術革新は、 その広がりの速度と、文明、階層、地理を超えた到達度は、 それまでの例と異なる。 まさに、この伝播の速度と到達度こそが、 技術革新を産業革命に変えた。 この大きな転換は、知識の適用こそが源泉である。 ドラッカーはこの転換のプロセスを三段階で説明する。 【第一段階】知識は100年にわたって、道具、工程、製品に適用され、産業革命が生まれた。  同時に、カール・マルクス(1818~1883年)の疎外、階級闘争、共産主義がもたらされた。 【第二段階】1880年ごろに始まり、第二次大戦の末期を頂点として、知識が、仕事に適用された結果、 生産性革命がもたらされた。  この75年間、プロレタリア階級は、上流階級に匹敵した所得を手にするブルジョワ階級となった。   "こうして生産性革命が、階級と闘争と共産主義を打ち破った。" 【第三段階】第二次夫戦後、知識は知識そのものに適用されるようになった。それがマネジメント革命だった。 知識は、土地と資本と労働をさしおいて、最大の生産要素となった。 まだ、今の時代を知識社会と呼ぶのは尚早であり、 傲慢でさえある。 知識経済をもつにすぎないと言えるが、 社会が、すでに資本主義社会でないことは間違いない。 「東西両洋において、  知識とは常に存在に関わるものだった。  ところが一夜にして、それが行為に関わるものとなった。  知識は資源となり、実用となった。  常に私的な財であった知識が、  ほとんど一夜にして公的な財になった。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■孤高を保つ■~調和ではなく成果を求める。~

∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ ドラッカーはさらに強みによる人事について指摘する。 一流のチームをつくる者は直接の同僚や部下とは親しくしない。 ”好き嫌いではなく何をできるか”で人を選ふ。 このことは、調和ではなく成果を求めるということを意味する。 そのため彼らは、仕事上近い人間とは距離を置く。 ドラッカーは歴史上の人物を例に挙げる。 ・リンカーンはスタントン陸軍長官その他との親密な関係を絶ってから成果をあげるようになった。 ・フランクリン・D・ローズヴェルトもモーゲンソー財務長官を含め、閣内では誰とも親しい関係をもたなかった。 ・マーシャル将軍やアルフレッド・P・スローンも、仕事の上では誰とも親しくしていなかった。  「彼らはみな心の温かい人たちだった。  友情を育む能力に恵まれた人たちだった。  しかし友情は仕事と切り離す必要のあることを知っていた。  彼らは好きかどうかは仕事に聞係のないことであるとした。  孤高を保つことによって多様性に富む  強力なチームをつくっていた。」 ~ピーター.ドラッカー『経営者の条件』

■転換後の社会■~時の彼方に隠れている。~

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おはようございます。 雲が多く、時折小雨の降る川崎の朝です。 台風8号、沖縄は暴雨風圏を抜けたとのことで、 これからは九州、四国ですね。 スピードが急に遅くなって、影響時間が長くなる恐れもあります。 気を付けましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ これまで人類が経験した転換は西洋のものであった。 しかし、今回の転換は、西洋の歴史も文明も存在しえないという、 根本的な変化である。 転換後の社会とはどういったものになるのか。 ドラッカーは、どのような新しい問題が出て、 どこに新しい大きな問題が存在するかについては、 ある程度知ることができるが、 その変化は誰の想像も超えたものになるとする。 確かにいえることは、これからの社会が、 資本主義社会でも、社会主義社会でもないことであり、 主たる資源が、知識であるということである。 つまりそれは、 組織が大きな役割を果たす社会であるということでもある。 「答えの多くは、いまだ時の彼方に隠れている。  価値、信条、社会構造、経済構造、政治構造、  さらにいえば世界観を含む現在の再編から生まれてくる世界は、  今日誰も想像できないものとなる。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■ポスト資本主義社会への転換■~われわれが経験しつつあるものは何か~

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おはようございます。 青空の広がる川崎の朝。 しかし、沖縄は暴風域に入った。 日本縦断のおそれあり、 接近地域の皆さんはお気を付けください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ これまでの歴史上、西洋では数百年に一度、 際立った転換が起こってきた。 ”世界は歴史の境界を越える。” この境界を越えたらその後の世代にとって、 それまでの世界は、想像することのできないものになる。 ドラッカーは現在、その転換期にあるとする。 この転換が終わった後が、”資本主義社会”の後の世界、 つまりポスト資本主義社会である。 「社会は数十年をかけて、  次の新しい時代のために準備をする。  世界観を変え、価値観を変える。  社会構造を変え、政治構造を変える。  技術と芸術を変え、機関を変える。  やがて50年後には、新しい世界になる。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)

■堂々と経営して、堂々と成果をあげる。■~自分が燃えるものを見つけなさい。~

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おはようございます。 まだ小降りの雨の川崎の朝です。 沖縄地方から段々と台風の影響で出始めます。 今週一杯で、日本列島縦断のおそれがあります、 予測不能の現象が多く、 十分に気を付けましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 最後に、著者が、ドラッカーから教わったことを 凝縮して紹介している。 ・経営とは人である ・重要なのは外の世界である ・未来を手にするためには過去を廃棄せよ ・利益は明日のための条件である ・強みに築け ・顧客に価値を提供せよ ・堂々と経営して、堂々と成果をあげてください ・いつまでも挑戦を続けなさい ・尊敬する人と仕事をしなさい 「仕事を楽しんでください。  そのために、強みを伸ばしなさい。  自分が燃えるものを見つけなさい。」 ~『P.F.ドラッカー 理想企業を求めて』   (第7章  21世紀の経営における最大の問題)

■後ろを見ずに前を見てきた。■~人の反対をいうこと~

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おはようございます。 雲の多い中、陽射しが差し始めた川崎の朝。 今日は銀座で、吉田類さんの握手会のお手伝い。 土佐酒がたっぷり飲めるかなぁ。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ ドラッカーは、自身が得意とするところは、 人の反対を言うことにあると話した。 そして、さらに、皆が問題について触れはじめると、 機会のほうを見ようといいたくなるとも話した。   「私は後ろを見ずに前を見てきた。  危機にあっては、機会は自ら現れるものである。  破局にあるとき、人は、忙しいから邪魔するなとはいわないものである。」 ~『P.F.ドラッカー 理想企業を求めて』   (第7章  21世紀の経営における最大の問題)

■ドラッカーの最後の言葉■~どこにも行きはしないよ。~

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おはようございます。 雨の週末、湿気の多い川崎の朝です。 今日は我が社の年次総会、 気合を入れてこの一年を乗り切ろう! ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ この著書の最後に、作者エリザベス・ハース・イーダスハイムは、 ドラッカーの彼女への最後の言葉を記す。 「今日はこれでよいか。今日は少し疲れたようだ。  疲れてはいけないといわれている。  またいらっしゃい。いつでもここにいるから。  どこにも行きはしないよ。」 ~『P.F.ドラッカー 理想企業を求めて』   (第7章  21世紀の経営における最大の問題) ”ドラッカーはこの世から去った。 しかし彼は、これまでのマネジメント、いまのマネジメント、 そして明日のマネジメントに影響を与えつづける。”

■なすべきことをなさしめさせた者■~マネジメントを明らかにする~

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おはようございます。 薄暗い、川崎の朝。 酒場を放浪している吉田類さんが、 日曜日に、銀座の高知県アンテナショップで、 握手会を開くとのこと。 関東海援隊として、お手伝いしてこよう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 何をもって憶えられたいか? この質問は、もっとも重要で本質的な質問である。 この質問について、ドラッカー自身は、 「なすべきことをなさしめさせた者として憶えられたい」 と言ったという。 そして、目標管理その他ドラッカーが 生み出したマネジメント上の手法は、 たいして重要なことではなく、 自身の貢献は、仕事、機能、責任としての マネジメントを明らかにしたこと にあると語ったという。 ”それまでマネジメントとは部下をもつことであったが、 マネジメントとは成果をあげることである。” 「部下をもつことと成果をあげることとは違う。  しかし、このことはまだ十分に理解されていない。  その結果、ほとんどの組織が問題に人を張りつけ、  機会を放ったままにしている。」 ~『P.F.ドラッカー 理想企業を求めて』   (第7章  21世紀の経営における最大の問題)