■コミュニティーの一部■~知的栄養としての水っぽいスープ~

おはようございます。

曇り空の川崎の朝、
これから段々と雨、
間もなく梅雨入りでしょうか。

土曜日、良い休日をお過ごし下さい。

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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬

ドラッカーは、
19世紀半ばの小さなカレッジは、
固定的なカリキュラムにこだわって、
聖職者にラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語や、
簡単な計算を教えることなどを
目的にしていたということから、
数え切れないほどの批判ができる、
とした。


そして、 それでも、当時のカレッジが
コミュニティーの一部になっていたという事実は、
評価できる点だと続ける。


ドラッカーは、
現代の大学は、1860年から1900年にかけて
昔のカレッジに取って代わり、
知的な面ではるかに豊かに、自由に、
はるかに満足のいくところに
なっているとする。


「というのも、1870年代の学生は、

 知的な栄養として彼らに与えられた水っぽいスープ、

 つまりお粗末な講義と、

 自分の生活を縛りつける

 息の詰まるような偏狭な考え方を

 辛辣に批判していたのですから。」


~P.F.ドラッカー
「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」
(1970年代"環境にまつわる政治学・経済学")




































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