■小ぢんまりした女子大■〜アメリカ学界での滑り出しも上々〜
おはようございます。
未明の高知、
冷え込みました。
こんな寒い日の未明の冷え込み時間に、
阪神・淡路大震災発生した。
あれから27年。
自然のメカニズムの前で人知は乏しい。
災害はいつでも起こる環境にある。
その際にどうしっかり生き抜くかを、
覚悟をもって自覚しておく必要がある。
このことが、
犠牲になられた方々の
無念の思いへの責任でもある。
あらためて、
犠牲になられた方々に
哀悼の意を表します。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
『産業人の未来』を書いた後の
二年間は順風満帆で、
自宅のあるスビルの
サラ・ローレンス大学で、
週に一日、経済学と統計学を教えていた、
とした。
そして、
教えることは
ずっと続けようと思っており、
ハーバードとプリンストンからも
招きをうけていたが、
1942年、
小ぢんまりした女子大の
ベニントン大学で常勤の教員となった、
と続ける。
そこでは、政治、行政、アメリカ史、
経済史、哲学、宗教など
好きなものを教えられた。
「処女作『「経済人」の終わり』のおかげもあって、
全米政治学会では政治理論部会の委員に選ばれていた。
こうして、アメリカの学界での滑り出しも上々だった。」
(3 アメリカの日々14章プロの経営者、アルフレッド・スローン)
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