■大組織の歯車の一つ■〜下手で楽しくもない〜
おはようございます。
未明の高知、
今朝も冷え込みました。
日中も快晴、寒い一日になりそうです。
火曜日、今週もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
処女作『「経済人」の終わり』のおかげもあって、
全米政治学会では政治理論部会の委員に選ばれ、
アメリカの学界での滑り出しも上々だった、
とした。
そして翌1943年には、
もの書きとしても一本立ちしており、
『ハーパーズ」では常連で、
当時絶頂期にあった
『サタデー・イブニング・ポスト』にも書いていた、
と続ける。
さらに、
日本軍の真珠湾攻撃の後は
政府の仕事も入っていたが、
政府関係の仕事を通じ、
ドラッカーには、
フルタイムよりも
パートタイムのコンサルティングのほうが
向いていることがわかってきていた、
とする。
「私は、大組織で歯車の一つとして働くことは、
下手でもあったし、楽しくもなかった。
驚いたことにコンサルティングが得意だった。」
(3 アメリカの日々14章プロの経営者、アルフレッド・スローン)
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