■ヒトラーの手が及ぶ寸前■〜ベニントン大学は故郷〜

 おはようございます。


未明の高知、

今朝も冷え込みました。


今日も日中は快晴、

寒い一日になりそうです。


休肝日明けの水曜日、

今日も一日よろしくお願いします。

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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬



ドラッカーは、

大組織で歯車の一つとして働くことは、

下手でもあったし、

楽しくもなかった、

とした。



そして、

バーモントから

ワシントンの政府機関に通い、

ニューヨークの『ハーパーズ』と

フィラデルフィアの

『サタデー・イブニング・ポスト』に

顔を出す生活は、

大変ではあったが刺激的だった、

と続ける。



私生活のほうもうまくいっており、

1941年アメリカが、

第二次大戦に参戦する直前に

二人めの子、

長男のヴィンセントが生まれた。



1942年の夏に引っ越したバーモントは

家族の全員が好きになり、

1949年の夏まで

7年間を過ごしたベニントン大学は、

ドラッカーにとっては

本当の意味での故郷となった、

とする。







「ヒトラーの手が及ぶ寸前に


 オーストリアを脱出した両親は、


 一九三八年の秋にアメリカにやって来ていた。」



(3 アメリカの日々14章プロの経営者、アルフレッド・スローン)

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