■介入を説く急先鋒■~外交軽視あるいは外交無視~
おはようございます。
今日も猛暑をうかがわせるような、
キツイ陽が差し始めた高知の朝です。
お気を付けください。
土曜日、良い週末をお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
戦後の1950年代、
ジョン・フォスター・ダレスが
友好国と結んだ安全保障条約や
ケネディの対ベトナム政策が、
このエイガーの構想に
由来するものだった、
とした。
そしてエイガー自身は、
アメリカのヨーロッパへの介入を説く急先鋒となり、
日本による真珠湾攻撃後は、
アメリカ情報局のロンドン責任者として
チャーチル政権との調整役を務めた、
と続ける。
ウィリアム・ウェイマックも、
ルーズベルト政権よりも前に
介入論者になったが、
彼は一度として
孤立論者だったことはなかった。
ドラッカーは、
彼自身も『レジスター』も、
共和党支持であって、
ルーズベルトとそのニューディールには、
最初から批判的であり、
彼のルーズベルト批判の一つが、
その外交軽視あるいは
外交無視だった、とする。
「しかしエイガーとは違い、
ウェイマックは、アメリカの介入も、
ヒトラーの脅威下にある国々への
経済援助程度のことで
済むかもしれないと見ていた。」
(3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)
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