■コロンビア大学での教鞭■~不思議なめぐり合わせ~
おはようございます。
東の青空に三日月が浮ぶ、
高知の夜明けです。
今日も秋晴れの一日になりそうです。
月曜日、今週も一週間よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
クレイムズは、
ドラッカーがナチスによって
発禁となった小冊子を著したのは、
ユダヤ系だからではなく、
立ち上がって意見を述べることが
大切だと考えたからだ、
とした。
そしてドラッカーは、
1950年には
ベニントン・カレッジでの職を辞し、
コロンビア大学で
教鞭をとる予定になっていたのだが、
またも運命がいたずらし
予定が狂ったと続ける。
本人が、偶然つづきの職業人生です、
と言うのも、
なるほどと納得がいく。
「1950年に、
不思議なめぐり合わせにより、
ニューヨーク大学ビジネススクールで
教えることになったのです。
......その一年後には、
ハーバード・ビジネススクールから
声がかかりましたが、
お断りしました」
(『ドラッカーへの旅 知の巨人の思想と人生をたどる』 第1章 チャンスは自分でつかみとるもの)
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