■社会的、地理的に流動的な社会■~コミュニティは運命だった。~
おはようございます。
雲の多い川崎の朝、
その分風は涼しげに流れ入ってきます。
関東地方、午後は雷雨にご注意を。
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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬
ドラッカーは、
200年前には、社会的な機能のすべてが
家族などのコミュニティによって
果たされていたとする。
では今後、誰が社会的な機能を
果たすのだろうか。
そもそも、今日のコミュニティには、
そのような力がない。
知識社会においては、
人は、生まれたところにとどまらず、
地理的にも、社会的な地位や身分においても
同じところにとどまらない。
知識社会とは、社会的、地理的に流動的な社会なのだ。
一方かつてのコミュニティは、
ひとりの人間とその家族が
移動することなく一か所に
とどまることを前提として、
諸々の社会的な機能を果たそうとしていた。
「19世紀には家族がよりどころとされた。
コミュニティは運命だった。
コミュニティを離脱することは、
根なし草になることを意味した。
無頼となることさえ意味した。」
~『イノベーターの条件』
(3章 20世紀の変化の本質は何か)
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