■マネジメントの意味が変わった。■~組織社会であるがゆえに、、~


おはようございます。

立秋過ぎて、今朝は窓から
心地良い風が入ってきます。

70年前の1945年8月9日午前11時02分、
長崎に原爆が投下され、
15万人もの犠牲者を出した。

一方、国会で安保法案の議論が進んでいる。
そんな中、自衛隊による核兵器の輸送について、
法理上は可能だが、
運用として、総理大臣があり得ないと
言っているので問題ないと、
安倍さんは目くじら立てて、
野党議員の質問に答えた。

中学生でも失笑するロジックだろう。

戦争犠牲者の方々の顔や言葉を、
思い描き議論を進めなければならない。

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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬



ドラッカーは、
知識労働者は組織のニーズを学び、
組織は知識労働者のニーズ、要求、期待を学ぶ
という相互依存関係となるとした。

そして、知識社会について、
もう一つ明らかなことがあるとする。

それは、知識社会は、
マネジメントが中心的な機関となる
ということである。

マネジメントが議論され始めたころは、
企業のマネジメントが中心だった。

しかしこの50年間に、マネジメントとは、
あらゆる種類の組織に必要な機関であることが
明らかになった。

どの様な組織であっても、
またどの様な目的を持っているにせよ、
すべてマネジメントを必要とする。



「マネジメントたるものは、

 組織のなかの

 それぞれ異なる知識をもつ人間同士が

 共同で成果をあげられるように

 しなければならない。

 人間の強みを生産的なものにし、

 弱みを意味のないものに

 しなければならない。」


~『イノベーターの条件』
(3章 20世紀の変化の本質は何か)





























































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