■人間としての存在可能性■~1943年ベニントン・カレッジでの講義~

おはようございます。

未明の川崎の朝、
昨日は寒空でしたが、
今日は快晴の一日になりそうですね。


今日から仕事始め、頑張りましょう。

今週もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬


ドラッカーは、
どうすれば人間としての
存在は可能になるのかを問う。


まず、欧米の歴史の中で、
二度の世界大戦を経験したこの20世紀ほど、
戦争による悲劇の実態を忘れ去ろうとした世紀は、
ほかに例がないとする。


そして、誰もが、その悲劇を見ないように目を閉じ、
歴史の事実を否定するように仕向けられてきたが、
1755年、ポルトガルを大地震が襲い、
約6万人もの市民がその犠牲になったという
史実をあげる。

この震災の犠牲者数は、
ヨーロッパにおける伝続的な
キリスト教の信仰の構造を崩壊させるのに
十分な数であった。



「当時の人たちにはわけがわかりませんでした。

 その恐怖と、あまねく慈悲深い神という概念との

 折り合いをつけられませんでした。

 そうした地震による大災害に対して、

 どんな答えを用意すればよいのか

 まったくわからなかったのです。」

~P.F.ドラッカー
「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」
(1940年代)






















































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