■「組織から何を得るか」を問う(1)■~意思決定の重荷~
おはようございます。
今日は79回目の終戦の日。
第二次世界大戦での犠牲者は、
世界で8500万人、
日本人は300万人を超えるとされる。
しかし8月15日が何の日か知らないという若者が多い。
その悲惨さの語り継ぎの危機だ。
ウクライナ、ガザ、ミャンマ―などでは
市民の犠牲者が増え続けており、
日本に目を向けても、
きな臭さが漂っている。
子や孫に平和への道を残すのか、
再びの災禍への道を残すのかは、
今の現役世代の課題だ。
今日の日に改めて、鎮魂の思いと共に、
その責任の重さを考えたい。
木曜日、今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『断絶の時代』から
ドラッカーは、
今日の組織社会は、
まったく新しい学びを求めるとする。
そしてそれは、
組織を目的意識と責任を持って
利用することであると続ける。
さらに、
この責任とそこに伴う
意思決定から逃げるならば、
組織が主人となり、
逆にこの責任を引き受けるならば、
われわれが主人となる、
とする。
上田さんは、
組織は教育のある人たちをして、
知識を働かせ、
収入を得る機会をもたらしたとし、
さらに次のとおり続ける。
「しかし、そこには意思決定の重荷が伴う。
自分が何でありたいか、
何になりたいかについて責任を負わされる。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』I 成果をあげる)
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