■我見る。ゆえに我あり■~考えるとともに見ること~


おはようございます。

朝から雨の川崎です。

昨晩は、関東地方で地震発生。

自宅も久々の強い地震だった。
震度3で短時間でさほどであったが、
これが強く長くなると、と考えるとやはり恐怖だ。

熊本地方の地震も終息しない。
日本列島、いつどこでどんな規模で
地震が発生してもおかしくない。

あらためて気を付けましょう。

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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬



300年前、デカルトは
「我思う。ゆえに我あり」
と言った。

しかし今やわれわれは
「我見る。ゆえに我あり」
と言わなければならない。

デカルト以来、重点は
概念的な分析に置かれてきた。
今後は、概念的な分析と
知覚的な認識のバランスが
必要とされる。
 
新多元主義の不均衡状態、
グローバル経済と地球的環境問題、
教育ある人間のモデルなど、
すべてが形態的である。

そして、ドラッカーは、
読者に対して、
”考えるとともに見ること”
を求める。



「今日われわれの眼前にある

 新しい現実は、すべて形態的である。

 したがって、それらの問題を扱うには、

 概念的な分析とともに

 知覚的な認識が不可欠である。」


~『イノベーターの条件』
(Part4 問われる知識と教育 3章 分析から知覚へ~21世紀の社会と世界観)



















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