■日本発展の根底には知覚の能力(1)■~紫式部の「源氏物語」~
おはようございます。
曇り空の高知の朝です。
東の空から明るくなり始め、
猛暑の気配がします。
朝の涼しさは今日はなし、
日中も猛暑、
気を付けましょ。
水曜日、今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『すでに起こった未来』から
ドラッカーは、
分析に対置するものとしての知覚こそ、
10世紀以降の日本画における
継続的な特性であるとする。
上田さんは、
日本の歴史と社会についての第一人者、
エドウィン・O・ライシャワー元駐日大使が、
日本は壮大な哲学を生み出していないと言ったとき、
ドラッカーは、
日本の特質は分析ではなく
知覚にあると言ってくれた。
ドラッカーは、
中世における西洋最大の偉業、
トマス・アクィナスの
「神学大全」に対置するべきは、
宮中の愛と病と死の描写からなる
世界最高の小説、
紫式部の「源氏物語」だという。
「近松門左衛門の文楽と歌舞伎は、
カメラとスクリーンこそ使わなかったが、
高度に映画的だともいう。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 6 日本の進む道とは)
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