■機会不平等にも通じる経済至上主義(2)■~日本の会社主義に期待~
おはようございます。
曇り空の高知の朝です。
今朝も暑さは穏やかです。
この雲は昼過ぎには雨をふらせはじめ、
明日に続きそうです。
今日からよさこいが始まりますが、
生憎の天気ですね。
踊り子には恵みの雨かもですね。
土曜日、良い週末をお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『「経済人」の終わり』から
上田さんは、
ドラッカーの処女作である
「『経済人』の終わり」の「経済人」とは、
経済至上主義のことだった、
とした。
しかし当時、
経済至上主義たる
ブルジョア資本主義と
マルクス社会主義に
代わるものとしての
脱経済至上主義は、
ファシズム全体主義しかなかったが、
それはあまりに
自由と平等に反していたと続ける。
そして、
「現代社会最高の哲人」と呼ばれ、
「マネジメントの父」と言われた
ドラッカーの問題意識は、
ここに端を発したのだとする。
「全体主義という逃げ場さえ用意されていないとき、
社会から疎外された者はどこへ行くのか。
だからこそ、
ドラッカーは行き過ぎを懸念しつつも、
日本の会社主義に期待した。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 6 日本の進む道とは)
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