■機会不平等にも通じる経済至上主義(3)■~混沌たる群集~
おはようございます。
曇り空の高知、
涼しい朝です。
これからぼちぼち雨が降り始め、
一日続きそうです。
でも強くは降らなさそうです。
よさこい踊り子さんには
恵みの雨になりそうです。
日曜日、良い休日をお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『「経済人」の終わり』から
上田さんは、
全体主義という逃げ場さえ
用意されていないとき、
社会から疎外された者の行先として、
ドラッカーは日本の会社主義に期待した、
とした。
そして、
経済のために生き、
経済のために死ぬという
経済至上主義からの脱却を求めた
ドラッカーの問題意識は、
実に約70年を経た今日、
ニート、フリーター、契約社員、
委託先社員、アルバイトなど、
非正規社員の問題を抱える
われわれの問題意識と
まったく同じである、
と続ける。
ドラッカーは、
かつてフォード・モーター社が、
賃金を三倍に引き上げることによって、
定着率を高め、
労務コストを下げ、
アメリカの中流社会化の
口火を切るという偉業を
成しとげた物語を伝える。
その志を現代日本に期待するのは
無理なのだろうか。
ドラッカーは、
一人ひとりの人間は、
その意味を受け入れることも
自らの存在に結びつけることもできない
巨大な機構の中で孤立しているとし、
さらに続ける。
「社会は、
共通の目的によって結びつけられた
コミュニティではなくなり、
目的のない孤立した分子からなる
混沌たる群集となった。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 6 日本の進む道とは)
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