■教師としての傲慢■~学ぶことのプログラム化~

おはようございます。

曇り空、湿気はありますが
とても涼しい川崎の朝です。

今日はこれから雨、
日中も気温は上がらないみたいですね。

月曜日、今週もよろしくお願いします。

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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬



ドラッカーは、
歴史上ソクラテスは
偉大な教師とされてきたが、
本人は、教師と呼ばれることに
少なからぬ抵抗を感じたに違いない、
とした。


そして、事実ソクラテスは、
自らを教師と見立てたことは
一度もなく、学習指導者であって、
学ぶ者に対する案内人だった、
と続ける。


彼の方法論は、教えの方法論ではなく
学びの方法論であり、
それは学ぶことのプログラム化だった。


ドラッカーは、
ソクラテスのソフィスト批判は、
ソフィストたちが教えることを重視し、
何を教えるかが重要である
としたところにあった、
とする。




「ソクラテスは、

 そのような考えを教師としての傲慢とした。

 ソクラテスは、

 教師が教えるのは学ぶことについてであり、

 何かを学ぶのは生徒であるとした。

 大事なことは学ぶことであり、

 教えることであるとすることは

 思い上がりであるとした。

 デルファイの神託が、

 彼をギリシャーの賢人としたのはそのためだった。」



~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」
(Ⅰ 失われた世界 3章エルザ先生とゾフィー先生)

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