■成否は別の種類のもの■~知識やコミュニケーション能力の関数~
おはようございます。
朝から雨の川崎です。
今日は雨模様の一日、
大きな被害を出した九州地方は、
今日も厳重警戒が必要です。
お気を付けください。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
----------------------
∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
学ばせるための方法論を知っている先生は、
生徒が自らを律し
自らを方向づけることができるよう、
彼らが自らの学びを
フィードバックする手助けをする、
とした。
そして、彼らはあえて教えずに、
生徒がよりよく学べるよう、
計画を立てる手助けをするだけである、
と続ける。
彼らは、生徒の数とは関わりなく、
一人ひとりの生徒に相対するので、
どのような生徒を教えることもできる。
ドラッカーは、
この二つの種類の教師の
いずれにとっても、
教えることの成否は、
教科内容についての知識の関数ではなく、
コミュニケーション能力の関数でもなく、
まったく別の種類のものである、
とする。
「それは、ゾフィー型の教師にとっては
個としての人間の世界の問題であり、
エルザ型の学習指導者にとっては、
学び方という方法論の世界の問題である。」
~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」
(Ⅰ 失われた世界 3章エルザ先生とゾフィー先生)
コメント