■軍に体現された一つの理念■~伝統に従ったまでのこと~

 おはようございます。


雲が厚く厳しく冷え込む川崎の朝です。


最近40年余り往来のなかった旧友から

FACEBOOKで連絡を貰った。

70年近い人生を歩んでいると、

出会った方々も膨大な数となる。

距離感や温度感の差で記憶の中から

こぼれ落ちた人もいるんだろうなと思うが、

おかげで、昔のことを考えることが多くなった。


青春、まさしく青い時代、

赤面や後悔の思いに満たされるが、

その中にも、心地よい思いを

喚起してくれる方々も何人かいる。

その中の一人と再会することができた。

感謝。


まだ30年の時間がある、

残る人達にもそのうち再会できるでしょう。


月曜日、今週もよろしくお願いします。


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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬




ドラッカーは、

ビスマルクのおかげで、

プロシアは、

成り上がりの傲慢な帝国へと

堕落していった、

とした。




そして、元々ブロシアとは、

地域ではなく理念のもので、

フリードリッヒ大王言うところの

「軍に体現された一つの理念」だった、

と続ける。



事実、19世紀半ばに至る

プロシア精神のほとんどすべてが、

地域としてのプロシアの外から

やって来たもので、

そもそも、1866年に

オーストリア軍を破り、

1870年から71年にかけて

フランス軍を破った

プロシア軍を楽き上げたモルトケも、

デンマーク生まれのデンマーク人だった。



ドラッカーは、

自らプロシア精神を現し、

ビスマルクが政権を握る寸前の

1850年代に亡くなった

フリードリッヒ・ユリウス・シュタールもまた、

バイエルンの首都ミュンヘン生まれの

ユダヤ人だった、

とする。






「したがって、


 ラインラント人であって


 プロシア人ではなかったクレイマーが


 プロシア精神を追求したのも、


 それらの伝統に従ったまでのことと言えた。」



(Ⅰ 失われた世界 7章キッシンジャーをつくった男クレイマー)

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