■「無謬の社会」の終焉か■~良き社会の探究の失敗~
おはようございます。
年が明けて冷え込みが厳しい高知です。
昨日は土佐和紙の発祥の地である伊野町、
仁淀川のほとりに佇む
土佐和紙工芸村「くらうど」で一泊。
この騒ぎの前であればなかなか
予約しずらい宿とのこと、
感染対策も施され、人込みもなく安全快適でした。
日曜日、健やかな休日をお過ごしください。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
ポランニー一家は、
才能には恵まれていたが、
歴史上の大物とはならず、
いずれも重要人物というよりは
興味深い人物であるにとどまった、
とした。
しかしドラッカーは、
彼らの挫折には
ホッブズとロック以来の
300年とまでは言わなくとも、
フランス革命以来の100年にわたって、
西洋が追い求めてきたものそれ自体が、
意味のないものであった可能性を示すという、
はるかに重要な意味があった、
とする。
「それは、唯一の世俗の宗教、
完全な社会、
あるいは少なくとも
良き社会の探究の失敗だった。
私が『産業人の未来』において、
妥当で耐えうる社会、
しかし自由な社会、
カールが当時半端な妥協として
拒否した社会をよしとした理由が、
そこにあった。」
(Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)
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