■「宗教の時代」の終焉■~資本主義と共産主義を超える社会~
おはようございます。
今日も快晴、寒い朝です。
いよいよ非常事態宣言も
現実のものになりそうですね。
新年は苦難のスタートとなりますが、
コロナ前とは違った新たな考え方、
より良いやり方を見つけ出すことが
必要となるんでしょう。
火曜日、今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
もはや社会が問題なのではなく
人間組織なるものも、
問題とすべきでもない
ということなのかもしれない、
とした。
そしてそれはちょうど、
「無謬の宗教」が社会の時代において
意味を失っていったのと
同じなのかもしれない、
と続ける。
「無謬の社会」の探求が、
未だに世界を非寛容なものとし、
自由を奪い、終末戦争の危機を
招きかねないほどに幅を利かせている今日、
そのようなことは、
はるか先のこととも思われるかもしれない。
「しかし、ちょうど一六世紀から一七世紀にかけての、
カトリックとプロテスタントの
融和を目指した哲人たちの失敗が、
その五〇年後の「宗教の時代」の終焉を予告したように、
資本主義と共産主義を超える社会を求めた
ポランニー一家の人たちの挫折もまた、
やがては「社会の時代」の終焉を予告するものだった
ということに十分なりうるのではないだろうか。」
(Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)
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