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11月, 2021の投稿を表示しています

■西洋文化の日本化■~彼を見た最後だった。~

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 おはようございます。 未明の須崎、 ベランダの向こうの城山も闇の中です。 三か月の須崎暮らしも最後の朝、 明日からは高知の自宅からの通勤となります。 南国市の事業所と須崎本社の行ったり来たりで、 忙しいですが、高速道路が整ってきており、 短時間で楽な移動ができそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 国際会議の公式晩餐会で会ったルースは、 当時68歳だったが、85歳のように見え、 重病人のような顔をしていた、 とした。 しかし、彼はいつものように礼儀正しく、 温かくドラッカーを迎え、 自分の隣の席へ引っ張って行って 座らせた。 そしてドラッカーに、 最近は何をしているかと聞いたので、 ちょうど日本から帰ってきたところで、 日本がどれだけ立派に立ち直ったか、 どれだけ早く西洋文化の日本化を行ったかは、 ちょっと想像もつかないほとだと答えた、 とする。 「ルースは顔をしかめて、  立ち上がった。  背中を見せた。  それが私が彼を見た最後だった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■アメリカのビジョンはつくった■~重病人のような顔~

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 おはようございます。 未明の高知は、 今季一番の冷え込みです。 明後日からは師走、 寒くならないとね。。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースは、 アメリカ憲法の ビジョンは自分につくらせてくれ、 とは言ったに違いない、 とした。 そして、事実、彼は、 アメリカのビジョンは つくったのである、 と続ける。 ドラッカーは、 ルースに最後に会ったのは、 彼が亡くなる半年前の1966年9月、 ニューヨークで開かれた マネジメントに関する 国際会議の講演者たちのための 公式晩餐会でのことだった、 とする。 「ルースは主催者側の一員だった。  彼はそのとき六八歳だった。  しかし八五歳のように見え、  重病人のような顔をしていた。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■アメリカ憲法のビジョン■~ピカソとバウハウス派のグラフィックス~

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 おはようございます。 眩しい陽射しの高知の朝です。 朝の冷え込みは日増しに 厳しくなってきますが、 今日の日中は暖かくなりそうです。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースにとっては、 『フォーチュン』が親企業的か反企業的かは、 まるで関心のないことで、 企業が重要で目立つ存在になった という事実が重要だったとした。 しかも彼は、 企業が中心的な存在である 新しい世界の形態を把握するには、 ピカソとバウハウス派の グラフィックスが 必要であることも感知していた、 と続ける。 『フォーチュン』はアメリカで初めて 美術部を持つ雑誌となり、 しかもそこに記事面と 広告面双方の制作を 任せることにより、 読者にトータルな 視覚体験を提供した。 ドラッカーは、 やがて電子情報による 雑誌が生まれるならば、 それはヘンリー・ルースの 落とし子と見るべきである、 とする。 「彼は『憲法は誰が書いてもよい。  国歌は自分に書かせてくれ」  とまでは言わなかった。  彼は、アメリカ憲法のすごさを承知していた。  しかし『政策は誰がつくってもよい。  ビジョンは自分につくらせてくれ」  とは言ったに違いない。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■表意文字の力■~親企業的か反企業的か~

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 おはようございます。 今日もまた快晴の朝を迎えた高知です。 今朝も冷え込みました。 日中は晴れますが、 気温は十度ちょっとと 寒い一日になりそうです。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースは、 政治的な立場を聞いても 意味はなかったが、 アメリカ人の世界観には 重大な影響をもたらした、 とした。 そして、 ルースの通った 山東省煙台のミッション・スクールでは 英語しか教えていなかったので、 中国語は読めなかったと思う、 と続ける。 しかし、 1939年にドラッカーが 初めてルースと会ったとき彼は、 中国の表意文字を知っているかと聞き、 『タイム』はああいうものにしたいんだ、 と言った。 ドラッカーは、 明らかに彼は、 建築学的なデザインによる 表意文字の構造と意味と感覚を 一字をもって伝える、 表意文字の力を追求していた、 とする。 「彼にとっては、  『フォーチュン』が  親企業的か反企業的かは、  まるで関心のないことだった。  重要なのは、企業が重要な、  しかも目立つ存在になった  という事実だった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■美学は道徳なり■~新たなものの見方~

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 おはようございます。 まぶしい朝日が射す 高知の朝です。 来週は早12月、 晩秋から初冬に 段々と移ろって来てますね。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょ こっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースは道徳家で、 酒こそ若干たしなむようになったものの、 終生厳格な長老派だった、 とした。 そして実に彼は、 美学は道徳なりとする キルケゴールと同じ考えだった、 と続ける。 ルースは、 マーシャル・マクルーハンよりも はるか前に、 メディアがメッセージであることを 見抜いていたが、 政治と政策へは 影響をもたらさなかった。 ドラッカーは、 彼は、政治的な 見解は持っていたが、 政治的な立場を聞いても 意味はなかった、 とする。 「しかし彼は、  アメリカ人の世界観には  重大な影響をもたらした。  新たなものの見方というものを、  津々浦々にまで行き渡らせた。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■彼は道徳家だった。■~中身よりもビジョン~

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 おはようございます。 東の空が朝焼けに 染まり始めた高知の朝です。 雲が少し多いようですが、 だんだん取れてきそうですね。 寒い朝ですが、日中は20度近くになり、 快適な一日になりそうです。 木曜日、今日もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースは中国と 日本以外のことについては、 自分の雑誌の政治的な立場にも、 政治そのものにも関心を持たなかった、 とする。 そして、 そもそも彼は中身に関心がなく、 関心があるのはビジョンだった、 と続ける。 ドラッカーは、 彼にとって重要なことは、 編集者が介入論者であるか 孤立論者であるかではなく、 彼と同じ世界を見ているか、 同じ雑誌をつくろうとしているか、 同じ形態、同じメディアを見ているかだった、 とする。 「彼は道徳家だった。  酒こそ若干たしなむようになったものの、  終生厳格なプレズビテリアン(長老派)だった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■日本を嫌う親中派■~軌道に乗ったヨーロッパ復興~

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 おはようございます。 快晴の稲城の朝です。 今日、引き上げて高知に帰ります。 高知も天気良さそうですね。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 アルースの中国観は、 アメリカに伝統的というべき、 中国に対する一種の 不可思議な感情移入を 反映したものだった、 とした。 そして、あらゆる親中派のご多分に漏れず、 ルースもまた、日本を嫌い、 第二次大戦終結後も久しく 反日的な記事を掲載させていた、 と続ける。 1950年代の半ば、 ドラッカーは、 自身が書いた記事について 解説を求められて『フォーチュン』の 編集会議に出ていたが、 突然ルースが特集の企画を持って 現れた。 それはようやく軌道に乗った ヨーロッパの復興がテーマで、 彼は皆にどう思うか聞いたところ、 口々に素晴らしい企画で、 タイミングがいい、 と言った。 そこへ誰かが、日本の復興も一緒に 載せなければならないと発言したところ、 ルースは本当にそう思うかと皆に聞いた。 「全員が頷いた。『それじゃ止めよう』。  彼は立ち上がって、  そのまま出て行ってしまった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■不可思議な感情移入■~毛沢東の全体主義独裁体制~

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 おはようございます。 稲城の朝はまだ雲が広がっています。 これから雲がだんだん取れ、 日中は晴です。 昨日は川崎のマンションの引き払い。 引っ越し屋の到着が遅れたので、 近所の居酒屋での待ち時間に たくさん飲めました。 今日は久しぶりに孫と遊びます。 火曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースが全社に押し付けていた 対中政策は見解を越えて、 信念と化したものであった、 とした。 そして、ルースの中国観は、 アメリカに伝統的というべき、 中国に対する一種の 不可思議な感情移入を 反映したものだった、 と続ける。 ドラッカーは、 アメリカに関心を持ち、 アメリカの理想と価値観に共鳴し、 アメリカと共通するものを持っている国は、 清朝の、蒋介石の、毛沢東の中国だけではなかった、 とする。 「ところが、アメリカがうるんだ目で、  センチメンタルに、  ロマンチックな感情を持って見ている国は、  ルースやルーズベルトが理想化する  蒋介石の中国だけであり、  ニクソンやキッシンジャーや70年代のリベラルが  ニューイングランドの  タウンミーティング並みのものに見せかけようとした、  毛沢東の全体主義独裁体制の中国だけなのである。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■見解を越えて信念■~中国観は他の親中派と同じ~

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 おはようございます。 雲がびっしり、 今にも雨が落ちてきそうな川崎の朝です。 今日は引っ越し荷物の運び出し、 あまり濡れませんように。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルース自身は保守主義者だった、 とした。 ところが『タイム』『フォーチュン』『ライフ』の それぞれの編集長はリベラルで、 1940年当時の『タイム』の 編集長ラルフ・インガソルに至っては、 リベラルでも最左翼に位置していた、 と続ける。 しかし、ルースが全社に押し付けていた政策が 一つだけあったが、それが対中政策であった。 他の政策については、 彼は自分の見解というものを持っていたが、 対中政策については、 見解を越えて、 信念と化したものを持っていた。 、 「彼の中国観は  他の親中派のものと同一だった。  ノーベル文学賞作家パール・バックのそれであり、  フランクリン・デラノ・ルーズベルトのそれだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■政治には関心がない■~ヒトラー宥和論を説く孤立論者~

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 おはようございます。 三か月振りの川崎の朝は曇りです。 午後からは段々雨、明日は本格的に降りそうです。 今日は久しぶりの柿島屋、 堪能してきます。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースが政治的に 重要な存在になりえなかったのは、 彼の雑誌が、彼の政治的見解を 反映することがなかったためだった、 とした。 そして、 たしかに、1950年代半ばまでは、 自ら編集に当たっていたが、 彼は政治には関心がなく、 見解は持っていたが、 他の編集者が反対の見解を持っていて 平気だった、 と続ける。 ドラッカーは、 ルースは、ヨーロッパに対しては 介入論者で、1935年にはすでに チャーチルとコンタクトがあり、 反ヒトラーの大西洋同盟の結成に向けて 工作していた、 とする。 「ところが、  『タイム」の国際面の編集者には、  ヒトラー宥和論を説く孤立論者  レアード・ゴールズボロを据えたままにしていた。  ルース自身は保守主義者だった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■政治的見解を反映しなかった■~駐イギリス大使のポストを希望~

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 おはようございます。 未明の高知、 冷え込んでます。 昨晩は、雲のない空に月が浮かんでました。 見たときには既に半月状態でしたが、 しばらく仰ぎ見ました。 今日上京しますが、 富士山がくっきりと迎えてくれそうです。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 通常の視点から見るならば、 ヘンリー・ルースはアメリカの政治に 何らの影響力ももたず、 いかなる政策も生み出さず、 個人としても何ら意味を持たない存在だった、 とした。 そして、 自らのささやかな政治的野心さえ 実現するだけの政治力を 持ち合わせなかった、 と続ける。 ドラッカーは、 彼の雑誌がアイゼンハワーの 大統領選挙の勝利に貢献したとき、 駐イギリス大使のポストを 希望したことは有名な話だった とする。 しかしアイゼンハワーは、 劇作家で後にコネチカット州選出下院議員となる 彼の妻クレアをイタリア大使に任命することによって、 義理を欠くことなしに、 彼の希望をしりぞけたのだった。 「ルースが政治的に  重要な存在になりえなかったのは、  彼の雑誌が、彼の政治的見解を  反映することがなかったためだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■双方が間違いだった■~何ら意味を持たない存在~

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 おはようございます。 未明の須崎、 遅い夜明けで目前の城山すら見えません。 空気が澄み、明かりが少ない町、 夜空には星がくっきりと輝きます。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 誰一人としてルースのことを、 政治的に重要な存在とは 見ていなかったが、 伝記となると話は違うとした。 そして、 スワンバーグの ベストセラー『ルースとその帝国』に至っては、 トルーマンからジョンソンの間、 アメリカには強力な政治家と言える者は唯一人、 ヘンリー・ルースしかいなかったとしている、 と続ける。 ドラッカーは、 この二つのルース観の 双方が正しいということはありえないが、 双方が間違いということはありうる、 とする。 「実は、双方が間違いだったのである。  通常の視点から見るならば、  ヘンリー・ルースはアメリカの政治に  何らの影響力ももたず、  いかなる政策も生み出さず、  個人としても何ら意味を持たない存在だった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■重要な存在とは見ていなかった■~最重要人物の一人~

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 おはようございます。 曇り空、薄暗い須崎の朝です。 一層寒く感じます。 日中は段々晴れてきそうです。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 政治家の伝記には ほとんどルースは出てこないとし、 そのよい例がルースが 活躍していた時代の二人の共和党の政治家、 アイゼンハワーとタフトの伝記だった、 とした。 そして、 二人よりも前の民主党の政治家 ルーズベルトの伝記、 ロバート・E・シャーウッドの 『ルーズベルトとホプキンズ』(一九四八年)でも 二箇所だけだったと続ける。 これら三冊の伝記は、 それぞれアイゼンハワー、 タフト、ルーズベルト、 ポプキンスの日記と書簡に 基づいて書かれたものだが、 これら四人の政治家のうち、 誰一人として、 ルースのことを政治的に 重要な存在とは見ていなかった。 ドラッカーは、 もちろんルースの伝記となると 話は変わってくる、 とする。 「好意的なもの、  批判的なもののいずれもが、  一九二〇年代から  亡くなる六七年に至る間の  最重要人物の一人として書いている。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ルースの政治力■~アイゼンハワーとタフトの伝記~

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 おはようございます。 未明の須崎、 寒い朝ですが、 日中は20度を超えそうです。 気持ちの良い天気が続きそうです。 休肝日明けの水曜日、気合い入ります。 今日もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーが知っている 中国育ちのアメリカ人と ヨーロッパ人の誰もが、 ルースとまったく同じ方法を採り、 その典型が、 元米国大統領ルーズベルトだった、 とした。 そして、 そのルーズベルトに 影響力を持ち続けた母親が 崇拝していたのが、 彼女の父、 中国人相手の商人デラノだった、 と続ける。 ドラッカーは、 政治家の伝記には ほとんどルースは出てこないとし、 その良い例として、 ルースが活躍していた時代の 二人の共和党の政治家、 アイゼンハワーとタフトの伝記だった、 とする。 「ハーバート・S・パーメットの  『アイゼンハワーとアメリカの十字軍』(1972年)は  650ページの大著でありながら、  ルースが登場してくるのはわずか二箇所である。  ジェームズ・T・パターソンの  『ミスター共和党――タフトの伝記』(1972)では一箇所である。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■典型はフランクリン・ルーズベルト■~内部に対立関係をもたらす~

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 おはようございます。 薄明りの須崎の朝、 城山の後ろ側が茜に染まり始めました。 今日も一日晴れ、 日中は20度を超え、 過ごしやすい一日になりそうです。 火曜日、今日もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースをつくったのはアメリカではなく、 中国だった、 とした そして、彼が初めてアメリカへ来たのが エール大学入学のためだったが、 その対人関係、 管理、支配の方法は、 中国の支配者のそれと まったく同じだった、 と続ける。 自らは一歩下がり、 内部に対立関係をもたらすことによって、 対抗する者が生まれないようにした。 ドラッカーが知っている 中国育ちのアメリカ人とヨーロッパ人の誰もが、 不思議なことに、 ルースとまったく同じ方法を 採っていたとする。 「その典型が、  フランクリン・デラノ・ルーズベルトだった。  彼に影響力を持ち続けた  母親が崇拝していたのが、  彼女の父、中国人相手の商人デラノだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ルースをつくったのは中国■~宣教師の子供~

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 おはようございます。 未明の高知、 夜明が遅くなった夜空には、 冬の星座が綺麗に浮かんでいます。 余計な明かりが少なく、 空気が澄んでるんですね。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースの人の操り方は 彼が考えたものではなく、 中国漢以来の伝統に従ったにすぎなかった とした ルースも、 組織の運営としては、 これ以外の方法が ありうることさえ 気付かなかったのではないかと思う、 と続ける。 ドラッカーは、 ヘンリー・ルースという人物を見るには、 その生まれと生い立ちを 見なければならない、 とする。 「彼は、中国への宣教師の子供として生まれ、  海岸から200マイル入ったところで  育っていた。  子供の頃の友達は中国人だけだった。  ルースをつくったのはアメリカではなく、  中国だった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■中国流人間操縦術■~不和、不信、対立による支配~

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 おはようございます。 雲の多い高知の朝です。 日中はおおむね晴れ、 20度近くまで気温が上昇しそうと、 アレクサは言ってます。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースから事実上の企画と管理を やってほしいと言われたとき、 何のためらいもなく 「ノー」と言った しかしドラッカーには、 だんだんルースが単なる マキャベリスト(権謀家)ではないことが わかってきた、 と続ける。 ドラッカーは、 彼はもっと興味深い人物で、 中国人そのものだった、 とする。 さらに彼の人の操り方は 彼が考えたものではなく、 漢以来の伝統に従ったにすぎなかった、 とする。 「毛沢東もまた、  派閥をつくらせ、  現場に直接アプローチし、  上司には内緒に下の者を来させ、  不和、不信、対立をもたらすことによって、  党と政府を支配した。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■何のためらいもなく「ノー」■~ライオンの仔をもらうという生活~

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 おはようございます。 未明の須崎の朝、 冷え込みが一層増してきました。 日中も寒くなりそうですね。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 高給になってしまった結果は、 仕事に対する意欲も何もかもが枯渇し、 駄目になりつつあることに気づいても、 辞められなくなることだった、 とした。 そしてさらにその結果は、 最高のレストランで昼食を取り、 ファーストクラスで旅行し、 五番街のアパートに住み、 コネチカットに小屋をもち、 ダベンポート夫人のように、 ルース夫妻から合同誕生パーティで ライオンの仔をもらうという生活に 慣れてしまうことだった、 と続ける。 ドラッカーは、 記憶に間違いがなければ、 ルースからいかなる条件を示されようとも、 自分自身がタイム社に入ることは 絶対にないであろうことを自覚したのは、 このパーティでだったが、 事実、ルースがやって来て、 ダベンポートを編集長にしたまま、 事実上の企画と管理をやってほしいと言ったとき、 もう心は動かされなくなっていた、 とする。 「ハリウッド的な生活は、  私には合わなかった。  私は何のためらいもなく  「ノー」と言った。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■桁外れというべき高給■~意欲も何もかもが枯渇~

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 おはようございます。 城山には少し雲が浮かんでますが、 その上には青空が広がっています。 しばらくこの好天が続きそうです。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 いかに強力な編集長といえども、 万全なルースに対抗することは不可能だった。 彼の雑誌のすべてにおいて、 派閥、抗争、対立、不信が蔓延していた原因が ここにあった、 とした。 そして、 少なからぬ編集長や 編集者が酒浸りとなり、 社内に一体感が欠如していた 原因もここにあった, と続ける。 加えて、桁外れというべき高給があったが、 彼に質したところ、 あえて高給にしていたわけではなく、 上げている利益からして、 どうしても高給になってしまう、 とのことだった。 「だがその結果は、  仕事に対する意欲も何もかもが枯渇し、  駄目になりつつあることに気づいても、  辞められなくなることだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■派閥、抗争、対立、不信■~内部対立を煽る~

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 おはようございます。 今朝も快晴城山の上に 青空が広がる須崎の朝です。 昨日からぐっと寒くなりました。 今日も同じような感じで、 一枚重ね着したほうが良いでしょう。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースは ほとんどの時間を海外か、 サウスカロライナやアリゾナの農園で 過ごす不在社長になっていたが、 編集長たちを通さずに、 記者や特派員や編集者に会うことによって、 自分以外の者が支配権を持つことを防いだ、 とした。 そして、 直接介入したり、 指示したりしたことはなかったが、 いつでも波風を立て、 混乱させ、 内部対立を煽ることができ、 事実そうした、 と続ける。 そのためには、 新しいアイデア、 質問、ヒント、疑問、 議論の種を頭に詰め込んで、 半年に一回出社するだけでよかった。 「いかに強力な編集長といえども、  万全なルースに対抗することは不可能だった。  彼の雑誌のすべてにおいて、  派閥、抗争、対立、不信が蔓延していた原因が  ここにあった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■不在社長になっていた■~意味のない特別任務~

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 おはようございます。 今朝も快晴の須崎の朝です。 日中の気温も一日一日と下がってきました。 今日も昨日より2,3度は低い模様です。 来月は12月だもね。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 編集者全員が、 誰が何を担当しているかを 知らなかった、 とした。 そして、 ルースには、 ダベンポートを傷つけたくない という気持ちもあるにはあった、 と続ける。 ルースは友人を傷つけたがらず、 どうしても避けられないときには、 大幅に昇級させ、 意味のない特別任務を与えるのが常だったが、 ルースの直接指示の本当の狙いは、 支配権の確保にあった。 ドラッカーは、 ルースが彼の雑誌に割く時間は 減っていき、 10年後の1950年に至っては、 ほとんどの時間を海外か、 サウスカロライナやアリゾナの農園で 過ごす不在社長になっていた、 とする。 「ところが彼は、  各事業の責任者を迂回して  現場に直接指示し、  編集長たちを通さずに、  記者や特派員や編集者に会うことによって、  自分以外の者が支配権を持つことを防いだ。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■支配権を手放さないルース■~誰が何を担当しているかを知らない~

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 おはようございます。 城山の向こうには、 青空が広がっています。 昨日の豪雨が嘘のように穏やかな須崎の朝です。 このまま高知はしばらく晴天が続きそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースは、 とてもその下では 働きたくない種類の人間でもあった、 とした。 そしてドラッカーは、 「フォーチュン」の編集長ラッセル・ダベンポートは、 10周年記念号の編集権を 事実上取り上げられていたことを 知らなかったのではないかと思う、 と続ける。 ルースはダベンポートをはずすことはなく、 ダベンポートは何も疑っていなかった。 ルースは自分が編集会議に 出ることもしなかったが、 編集会議の前に、 編集者を個別に、 別の階にある自分の部屋に呼び入れ、 記事ごとに指示をしていた。 編集者全員が、 誰が何を担当しているかを知らなかった。 「ルースが直接指示していることは、  ダベンポートを含め、  誰にも言ってはならないと厳命されていた。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■その下では働きたくない人間■~やり方は自由~

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 おはようございます。 朝焼けの高知の朝です。 これから下り坂、 明日は少し強めの雨になりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ルースは、マリーが記者の行いに 苦情を言ってきた祭に、 ノックしては入ればいいのではないか といった。 そしてこの件はこれで終わりとなり、 これがルースの流儀だった、 と続ける。 ドラッカーは、 記者にせよ、 編集者にせよ、 仕事さえできればやり方は自由だった、 とする。 「しかし、ルースは、  とてもその下では  働きたくない種類の人間でもあった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■『ライフ』のある記者についての話■~ノックすればいい~

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 おはようございます。 まぶしい日が射してきた、 快晴の高知の朝です。 今日も秋晴れの一日になりそうですね。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースにはユーモアのセンスもあった、 とした。 そして、彼はドラッカーには厳しかったが、 他人には寛容だった、 とする。 ドラッカーは、 『ライフ』のある記者についての話が 有名だった、 と続ける。 『ライフ』創刊の数か月後、 リサーチ部門の責任者のマリーという女性が 息せき切ってやって来て、 あの記者をどうにかしてくれと言ってきた。 彼女の気を静めさせて 聞き出したところ、 その記者は、 自分の部屋で素っ裸で寝ころんで 仕事をしているとのことだった。 ルースは、彼女に記事はどうかと訊ねると、 問題はないと答えたので、 さらにその記者が女の子を追いかけるのかと聞くと、 そんなことはないが我慢ができないと答えたが、 その記者はホモで有名だった。 「『よくわからないんだがね。  君のところの女の子は皆大卒だろ?』  『はい』  『ではノックすることくらい知っているだろうに』。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ユーモアのセンス■~思ったように書く権利~

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 おはようございます。 朝が随分と遅くなり、 城山にはまだ日が射し込んできません。 今日も秋晴れの一日になりそうですね。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 IBMの件でルースは、 手直しで処理することに 渋々ながら同意した、 とした。 ところがその記者が、 とくにご自慢だった箇所に 私が手を入れたことに 苦情を持ち込むと、 ルースはそれに同情して、 ドラッカーに元の文章に戻させた、 と続ける。 ルースは、記事にはドラッカーやルースでなく 彼の名前が出るんだから、 記者に間違いがない限り、 思ったように書く権利がある、 とした。 ドラッカーは、 おそらくその記者には、 ルースがその記事を嫌っていたことは、 わからずじまいだったと思う、 とする。 「一件が落着した後、  ルースは『後味が悪い。文章が優れていただけにね』  と言った。  ルースにはユーモアのセンスもあった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■肩書も年齢も性別も無関係■~若い者に目をかける~

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 おはようございます。 未明の須崎の朝、 昨晩から冷え込みました。 日中は秋晴れ、 気持ちの良い晴天が続きそうです。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースは、 ある意味では 一緒に働きやすい人で、 よく頑固で傲慢だと言われるが、 そういうことはなかった、 とした。 そして、 入社したての若い者まで、 彼に異論を唱えることができ、 肩書も年齢も性別も関係なかった、 と続ける。 ルースは、 若い者の意見も聞き、 その時にはやっつけておいて、 何日か後には、、 それを肯定し、 その通りやって結構とのメモを 届けたりしていた。 ドラッカーは、 彼は若い者に目をかけていたと 言ってもよかった、 とする。 「IBMの件にはルースも怒り、  記事をボツにしようとしたが、  代わりの記事がなく  時間的に間に合わない旨を説明すると、  手直しで処理することに  渋々ながら同意した。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■頑固で傲慢■~自分の考えを持ちすぎ~

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 おはようございます。 快晴の須崎の朝です。 昨日は、久しぶりの トレッキングと癒しの温泉、 夜にはカラオケと、寛ぎの一日でした。 さぁ休み明けで今日は仕事、 頑張りましょう。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『フォーチュン』には 興味深い人物が大勢いた。 その最たる者がルース本人だった、 とした。 そしてドラッカーが、 彼と働いたのは、 このときの一度だけで、 短い期間だったが、 集中して働いた、 と続ける。 さらに、ある意味では 一緒に働きやすい人で、 よく頑固で傲慢だと言われるが、 そういうことはなかったとする。 「自分の考えは持っていた。  持ちすぎていて、  私は何度も、  締め切りに間に合わなくなると  言わなければならなかった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■私の話を真面目に書いている■~興味深い最たる者~

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 おはようございます。 城山の東から 茜の夜明が始まってきました。 須崎には、桑田山温泉という名湯があるとのこと。 秋晴れの中、散歩がてら山歩きして、 温泉でゆっくりします。 水曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 IBMトーマス・ワトソンからの電話に対して 記者が辞めようが辞めまいが、 記事は出ると話したところ、 ワトソンは、記事が出ることを 前提にしていると答えた、 とした。 そしてドラッカーが続けて、 記者の書いた記事を読んだかと聞いたところ、 彼はかなりいらいらしながら、 自分の会社についての記事は、 いつも全部読んでいると答えた。 さらにドラッカーは、 それでも、うちの記者を 広報部長にほしいのかと尋ねたところ、 少なくとも彼は、 話を真面目に書いているから、 もちろんそうだとワトソンは答えた。 「当時の『フォーチュン』には  興味深い人物が大勢いた。  その最たる者がルース本人だった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■IBMの広報部長にスカウト■~新手の説得工作か~

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 おはようございます。 須崎の夜明、目の前の城山には 少し雲がかかってますが、 青空が広がり始めています。 今日はしっかり晴れそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 IBMからの電話は すべてドラッカーに回すよう 指示を出していたが、 そこに、 IBMトーマス・ワトソンから電話があった、 とした。 ドラッカーは、 記者は出られないので、 記事のことは担当編集者の 自分に話すように伝えたが、 ワトソンは、 記事のことじゃないので、 記者と直接話をしたいと答えた。 さらにワトソンは、その記者を 希望どおりの給料で IBMの広報部長にスカウトしたい、 と続けた。 ドラッカーは、もしかするとこれは 新手の説得工作かと思い念を押した。 「『ワトソンさん、  記者が辞めようが辞めまいが、  記事は出ますが』  『当然だ。記事が出ないんなら、  この話はなしだ』」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ワトソンからの電話■~抗議には耳を貸さない~

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 おはようございます。 未明の高知、日の出までまだ30分ほどあります。 暗い空ですが雨の心配はなさそうです。 今日から11月、後2か月ですね。 何かと気忙しくなります。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 新人記者の校正刷りを読んで、 すぐにルースのところへ飛んで行き、 差し替えは無理だが、 あまりにひどい部分は 書き直すことを伝えた。 ドラッカーは、 IBMからの抗議には 耳を貸さないつもりだった、 とする。 そして、 とにかく記者を守り、 文章に手を入れることにした、 と続ける。 ルースには、 IBMからの電話は すべてドラッカーに回すよう 指示を出してもらっていたところ、 IBMからの電話は来た。 「ちょうど、  その記者と原稿をいじっているところだった。  電話の主は言った。  『トーマス・ワトソンです。  私の会社について書いた記者さんと話がしたい』」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)