■見解を越えて信念■~中国観は他の親中派と同じ~
おはようございます。
雲がびっしり、
今にも雨が落ちてきそうな川崎の朝です。
今日は引っ越し荷物の運び出し、
あまり濡れませんように。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
ルース自身は保守主義者だった、
とした。
ところが『タイム』『フォーチュン』『ライフ』の
それぞれの編集長はリベラルで、
1940年当時の『タイム』の
編集長ラルフ・インガソルに至っては、
リベラルでも最左翼に位置していた、
と続ける。
しかし、ルースが全社に押し付けていた政策が
一つだけあったが、それが対中政策であった。
他の政策については、
彼は自分の見解というものを持っていたが、
対中政策については、
見解を越えて、
信念と化したものを持っていた。
、
「彼の中国観は
他の親中派のものと同一だった。
ノーベル文学賞作家パール・バックのそれであり、
フランクリン・デラノ・ルーズベルトのそれだった。」
(Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)
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