■今や脚注の専門家■~毛沢東の可能性~
おはようございます。 青空が広がる高知の朝です。 大晦日、ついにこの日までコロナ拡大は続き、 新年も続くのでしょう。 この一年、 ちょこっと、ピータ.ドラッカーに お付き合いいただきありがとうございました。 新年もまたよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 カールの外見は、 昔とまったく変わらなかった、 とした。 そして、 物事の動きの裏に真実を見抜き、 陰謀をかぎつける力も 相変わらずだったが、 彼の関心そのものは、 もはや大国間の権力闘争ではなく、 コロンビア大学教授会内部の 権力闘争へと移っていた、 と続ける。 もちろん第三の道の探求や、 経済と自由の調和についても論じ、 新たに原始文化や古代文化に取り組む度に、 第三の道の発見を期待する点も同じだった。 そうなると数週間は若返り、 熱中するのだったが、 それもすぐに熱をさまし、 細々とした好古趣味、 学問のための学問に逆戻りするのだった。 かつては一般化の達人だったものが、 今や脚注の専門家となっていたとはいえ、 昔の若かった頃のカール・ポランニーが 顔を出すこともあり、 たとえば五〇年代半ばに会ったときには、 すでにこう言っていた。 「毛沢東は孔子みたいになると思っていた。 その可能性はあったと思う。 でも権力を選んでしまった。 結局はスターリンと同じになってしまうんだろうね」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)