■”学習する施設”としての学校■~仕事も病気も赤ん坊用ベッドも~

おはようございます。

明るい陽が射し始めた川崎の朝です。
日中は夏の気温、
身体はまだまだ春から抜けきっていないため、
体調を崩しやすくなります。

お気を付け下さい。

今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬


ドラッカーは、
生命の始まりと終わりは存在するが、
学習には始まりと終わりは存在しない、
とした。


そして、人は学校以外のところでは
どこでも”遊び”や”仕事”を
”実践”するのに対して、
”学習する施設”としての”学校”は
存在意義がなくなってきていると、
続ける。



「仕事にしても重い病気にしても、

 そこに学ぶ機会があるのと同じように、

 赤ん坊用のベッドも

 学習するための施設なのです。」


~P.F.ドラッカー
「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」
(1970年代"環境にまつわる政治学・経済学")




































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