■卒業したあと身につけるもの■~ハンブルクでの見習い~
おはようございます。
曇り空の川崎の朝です。
これから晴れて、午後は曇り、
蒸し暑い一日になりそうですね。
木曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
当時のヨーロッパ大陸の大学は、
大卒という身分は与えたが、
専門知識はほとんど何も与えなかった、
とした。
そして、法律、神学、工学などの専門知識は、
大学を卒業したあと身につけるもので、
とくにハンブルク、アムステルダム、
ロンドン、バーゼルなどの商都では、
家業を継ぐべき最も優秀な男子は、
大学には行かないものと相場が決まっていた、
と続ける。
大学へ行く必要はまったくなく、
通常彼らは14歳で見習いとして修業に出ていた。
ドラッカーが、
ハンブルクで見習いをしていた頃、
知り合いになったある豪商の社長は、
自分が一族中最も頭がよく、
最も教養があると自信満々で、
周りの者もそれを認めていた。
「彼は鼻をうごめかして、
弟二人を、ハンセン家の馬鹿者と言っていた。
ところがその馬鹿者の一人は、
ヨーロッパで最も権威ある法廷
ハンザ高裁の主席判事であり、
もう一人は、同じくヨーロッパで
最も大きなプロテスタント教会の
指導的人物だったのである。」
~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」
(Ⅰ 失われた世界 5章トラウン伯爵と舞台女優マリア・ミュラーの物語)
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