■ハンガリー自由党の結党■~非ハンガリー人の差別に反対~
おはようございます。
未明の川崎の朝、
冷えてます。
今日はジョンレノンが40歳で亡くなって、
40回目の命日、
存命なら80歳だったんですね。
いつまでも若いままです。
火曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ポランニー家の子供たちで、
唯一ドラッカーが親しくなったのは
三男のカールだけだったが、
彼は二〇歳になる前の大学法学部在籍中に、
ハンガリー自由党の結党に参画し、
ほとんどすぐに、
党機関誌の編集者兼論説委員になっていた、
とした。
そして、このハンガリー自由党は、
ハンガリーの政党のうち唯一、
ハンガリーにおける
非ハンガリー人の差別に反対し、
スロバキア人、クロアチア人、
ルーマニア人に
同等の権利を与えることを公約していた、
と続ける。
ということは、
ハンガリー領内において、
他ならぬハンガリー人が
少数派になることを意味し、
ハンガリー自由党は
とうてい与党にはなれなかった。
「それどころか、
反体制派を抱え込んでいたためもあって、
党首のカロンニー伯爵は、
その名声と富にもかかわらず、
亡命を余儀なくされる始末だった。」
(Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)
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