■人は悪の道具とされる■~いずれがより大きな罪か~
おはようございます。
快晴の川崎の朝です。
さわやかな微風が窓から入ってきます。
小田急ロマンスカーでの帰宅時、
近くの席の祖母と二十代の孫娘と
思しき二人連れが飲食しながらの
会話が止まらなかった。
通りかかった乗務員に、
二人を止める様に声かけを要請したが、
出来ないとの返事であったため、
じゃ僕が言いますよといったら、
制止され別の座席に移動してはどうかと進められた。
こちらはマスクをしているとはいえ、
密閉状態で小田急に身を任せている状態、
電車のご利用も自己責任で、
ってことでしょうか。
土曜日、良い週末をお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
いかなる条件においても
人が悪と取引をしてはならないのは
悪が平凡だからではなく、
人が平凡だからである、
とした。
そして、
ヘンシュのように、
自らの野心のために
悪を利用しようとするとき、
人は悪の道具とされる、
と続ける。
ドラッカーは、
シェイファーのように、
より大きな悪を防ぐために
悪を利用しようとするとき、
人は悪の道具とされるとし、
次のとおり続ける。
「これまで長い間、
私は、つまるところ、
彼ら怪物と小羊の二人のうち、
いずれが行なおうとしたことのほうが
より大きな害を成したか、
ヘンシュの権力への欲求と
シェイファーの自己への過信の
いずれがより大きな罪だったかを
考えてきた。」
(Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)
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