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■人間存在の根本原理■~生と死の双方に意味を与えない~

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おはようございます。 朝焼けが青空をピンクに染める 川崎の朝です。 今日は平成最後の成人式、 大人というより、 人の痛みが分かる、 まともな人間になることを期待します。 三連休最終日は好天模様、 お楽しみ下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ こうして19世紀は、 ローマ帝国時代の後期と同じように、 純粋に倫理的なものや 人間存在の真髄としての徳へと 逃げ込むことによって、 出口への道を見つけようとした。 ドラッカーは、 倫理協会運動等の生命の倫理的概念の さまざまな定式化は、 古代で見られたのと同じように、 19世紀でも広く流行したが、 古代と同様に、人間存在の根本原理を 用意することに失敗した、 とする。 「確かにこれによって、  勇気や迷いのない気持ちは生まれるでしょうが、  生と死のどちらにも意味を与えてはくれません。  この人間存在の軽さは、  自殺を究極の救済法として  規定していることからわかります。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■絶望が生命の本質になる■~ナチへと結びつく教義~

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おはようございます。 曇り空の川崎の朝、 どうもスッキリしない天気の連休ですね。 東京地方の冷え込みはさほどですが、 旭川方面は零下30度近くの厳寒を記録、 想像を絶しますね。 東京地方は、これから段々晴れ間が広がる模様、 良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 人間の存在とは社会における存在のことだ、 と説く楽天的な姿勢は、 必然的に真っすぐ絶望へとつながり そのまま直接全体主義へとつながっていく ということがはっきり見えてくるとする。 そして、全体主義の教義の真髄は いかに生きるかではなく、 いかに死ぬかということにあることも 見えてくるはずである、 と続ける。 死を受け入れられる対象にするためには、 個々の生命を価値がないもの、 意味のないものにしなければならなくなる。 「この世界における生命に  重要な意味を与えるところから始まる  この楽観的な教義は、そのまま真っすぐに、  人に意味のある生き方をさせられる  ただひとつの行動として、  自己犠牲を称賛したナチへと結びついていきます。  絶望が生命の本質になるのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■社会という体の一個の細胞■~生命自体を無意味にすること~

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おはようございます。 曇り空の川崎の朝、 低気圧のせいか、冷え込みはあまり厳しくはないようですね。 三連休、良い休日をお過ごし下さい。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 個人は、永遠に存在する という問題に遭遇したショックから 立ち直れはするが、 本質的に絶望からは逃れられない、 とした。 そして、もし社会が人に対して 社会の中だけで生きる能力を要求するのなら、 社会はその人が死ねるよう努めなければならない、 と続ける。 社会がこれを実行できる方法は、 個人の生命それ自体を無意味に することしかなくなる。 もし人が樹木の枝についている一枚の葉、 言い換えれば社会という体を構成している 一個の細胞にすぎないとしたら、 その人の死は本当の死というものではなくなり、 全体の生命の一部となる、 と言えることとなる。 「そのときは、あなたの生命もまた  本当の生命でないのはもちろんです。  それは、総体的な生命の内部で働く機能の  一プロセスなのです。  そこには、総体という観点を除けば、  どのような意味もありません。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■個でありたいと望まないことへの絶望■~人が完全に孤独となる瞬間~

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おはようございます。 今朝も冷え込んだ未明の川崎、 空は快晴の様です。 インフルエンザが大流行の兆しで、 女房も3日前からダウンしてます。 お互いに気を付けましょう。 金曜日、今日は新年会の方も多いことでしょうが、 呑み過ぎ、乗過ごしにご注意を! 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 死というものから逃れられない限り、 時間を超越した永遠は実現でき、 個人は社会で自己実現ができる という考えの行き着く先には絶望しかない、 とした。 そして、どんな人もその人生で、 突然、自分自身が死に直面していると わかる瞬間が必ず訪れるが、 この瞬間、人は完全に孤独で、 まさにひとりぼっちとなる、 と続ける。 もしその人が現実を理解できなくなってしまったら、 その存在は意味のないものになるが、 キルケゴールは、この死の現象を究明し、 死の向かう先を ”個でありたいと望まないことへの絶望”と 呼んだ。 「表面的に見れば、  個人は、この永遠に存在するという問題に  遭遇したショックから立ち直れはします。  しばらくの間、その問題を忘れていてもいいのです。  けれども、決して、社会における自分の存在についての自信を  回復させることはできません。  だから、本質的に絶望からは逃れられないのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■時間を超えたところでの存在■~行き着く先は絶望~

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おはようございます。 未明の冷え込みは零下、今期一番です。 暗くてよくわからないですが、 空は快晴の様子、寒い一日になりそうです。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 生命保険は、リスクを分散させる約束であり、 死というものを、人生におけるひとつの出来事と 考えようとする試みの本質を 最も明確に教えてくれるものであった、 とした。 そして、習慣的な手段を使って死後の生命を 操ろうとする試みから心霊主義が生み出されたが、 それでも死がなくなることはありえないため、 死をタブー視し、死を口にするのはマナー違反 というルールを作ったのだと続ける。 そこで、死というものが存在し続けている間、 人間には、現実とかけ離れ、時間を超えたところで 存在していることを示す何かがある、 と考えることとなる。 「死というものから逃れられない限り、  生命についての楽観的な概念、  つまり時間を超越した永遠は実現できる、  そして個人は社会で自己実現ができる  という考えの行き着く先は、  たったひとつしかありません。  それは、絶望です。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■死がもたらす帰結への対処■~リスクを分散させる約束~

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おはようございます。 夜明けにはまだ1時間ほど、 夜の長い季節です。 未明、一層冷え込みを感じます。 暖かくしてお出かけください。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 19世紀の人間の手による大惨事について、 人々はその事実を大惨事だと解釈することを 拒否し回避した。 ドラッカーは、かれらがその悲劇の回避に 成功したとは言っても、 回避できない事実がひとつ残されている、 とする。 それは時代を超えて存在し続ける ”死”という事実で、 それは、個別具体的な事実でありまた、 個人的に起こる事実である、 と続ける。 19世紀には、死を個別及び 質的な側面から解明するために 死を、数量として計測し、 統計的に予測できる数値の上での出来事にした。 つまり、死がもたらすさまざまな帰結を 総合的に整理することによって、 死というものを解釈しようとしたもので、 これが、生命保険の意味であり、 死がもたらす帰結に対処する約束だとした。 「生命保険はおそらく、   19世紀の形而上学を代表する   仕組みの最右翼でしょう。   なぜかと言えば、”リスクを分散させる”約束が、   死というものを、人生の終わりではなく、   人生におけるひとつの出来事と  考えようとする試みの本質を  最も明確に教えてくれているからです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■19世紀の合理性という観点■~あまねく慈悲深い神という概念~

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おはようございます。 快晴の空、 厳しい冷え込みの川崎の朝です。 寒さと乾燥に注意。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 18世紀の震災被害者は、 災害が与えた被害について、 その恐怖と、”あまねく慈悲深い神” という概念との折り合いをつけられなかった。 ドラッカーは、 今では、毎日のようにはるかに 大量の殺戮や破壊、飢餓で苦しんだり 虐殺されたりしているたくさんの人たちや、 一晩で完全に崩壊してしまった都市などのことを 聞かされている、 と続ける。 この19世紀の人間の手による大惨事と、 18世紀の震災被害とのどちらを説明するのが 難しいかという比較の話になると、 19世紀の大惨事を説明しようとするほうが、 はるかに難しいであろう。 それでも、多くの人がこの戦争から 恒久的な平和や繁栄が必ず 生まれてくるとの楽観的な考え方が、 このような現代の大惨事によって 揺らいでいるとは思えない。 「確かに、彼らはこうした事実を認識しています。  当然、それに対して怒りもおぼえています。  けれども、彼らはそうした事実を大惨事だと  解釈することを拒否しているのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)