■私生児として生まれ■~女子入学を認めたチューリッヒ大学~
おはようございます。
曇り空の川崎の朝です。
昨日は予報通りの雪、
霙どころか湿気の多いぼた雪に
驚かされました。
今朝は雪景色もすっかり消えてますが、
気温は低く、
日陰では凍結で滑りやすいところもあるようです。
お気を付け下さい。
今日はテレワークにします。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
----------------------
∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
ゲーニアは、
得意とするものについては
抜きん出ており、
彼女が行なったことは、
むしろヘムよりも偉大であり、
創造的だった、
とした。
ゲーニアは、オーストリア領
ボーランドのロシア国境近くの出身で、
彼女の父親は、ヘムの父親と違い、
豪商ともいうべき材木商だった。
噂によれば、ゲーニアは、
その材木商がポーランド人のメイドに生ませ、
死ぬ間際に結婚してようやく
認知したという私生児だった。
「いずれにしても彼女は、
10代の終わりに膨大な財産を相続した。
彼女は、一九世紀末の当時、
ドイツ語圏の大学としては
唯一女子の入学を認めていた
チューリッヒ大学に進学した。」
~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」
(Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)
コメント