■ハンガリーの鉄道王■~ロシアの伯爵令嬢~

 おはようございます。


雲がびっしりと空を覆う川崎の朝です。


今朝は生温かくさえ感じますが、

日中も20度超え、にわか雨も予想されます。

ご注意を。


新型コロナ感染者数は、東京で最多を記録し、

全国数も最多となった。

個人生活の面で出来ることはやっていると言うが、

まだまだ食事や電車でのおしゃべりが止まらない女性が目に付く。

このようなことは個人の意識でなんとかなるだろうが、

一方で個人ではどうにもならないこともある。

そこは行政の責任で、個人に自主的判断と言われても、

責任転嫁でしかない。


金曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。


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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬



カール・ポランニーの父親についての話が続く。


ドラッカーは、

すでにハンガリーは、

ハプスブルク家との戦いに勝つことではなく、

鉄道と農業近代化によって、

近代的ではあっても

ブルジョワ的ではない

社会の建設に向けて歩み始めていた、

とする。



そして、その後ポランニーの父親は、

帰国して何年かした後には、

ハンガリーの鉄道王となり、

あらゆる国の鉄道王たちと同様、

ビジョンを持って鉄道を建設していった、

と続ける。



さらにポランニーの父親は、

あらゆる国の鉄道王たちと同様、

手を広げすぎ、

倒産し、1900年頃

失意のうちに他界した。



彼がハンガリー随一の

市民階級の金持ちとして

全盛時にあった1868年頃、

20歳年下のセシリアと結婚したが、

彼女は、ロシアの

伯爵令嬢でありながら

アナーキリストだった。








「貴族の令嬢向けの女学校の


 生徒だった10代半ばの頃、


 学校の化学実験室で爆発物をつくり、


 それを使った兄たちが、


 ある警察幹部を殺害した。


 ポランニーと知り合い結婚したのは、


 この爆弾事件でスイスに逃れ、


 チューリッヒにいた頃だった。」


(Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

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