■ポランニー一家と「社会の時代」の終焉■~
おはようございます。
雲が空を覆う肌寒い川崎の朝です。
アメリカ大統領選挙、
予想通りの混乱を見せている。
我々の世代が若いころ、
アメリカはベンチマークであり
憧れの国であったが、
この、目を伏せたくなるような光景、
どの様な決着となるのかな。
金曜日、今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
今日から「6章 ポランニー一家と「社会の時代」の終焉」。
この章で、ドラッカーの処女作となる
『「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか』
の刊行経緯が語られている。
18歳になったばかりのドラッカーは、
ハンブルクの商社で4か月働いた後、
1927年のクリスマスに
初めての休暇を取ってウィーンに帰った。
そしてそこに待ち受けていたのは、
経済週刊誌『ザ・オーストリアン・エコノミスト』
新年特別号の編集会議 への招待状だった、
と続ける。
「私は10代のかなり早い頃から
この雑誌を読んでいた。
経済官僚の父は、1907年の創刊以来
ずっと同誌を支援し、
相談に乗り、寄稿していた。」
~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」
(Ⅰ 失われた世界 6章 ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)
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