■民需生産から軍需生産への転換■~彼は入院していた。~
おはようございます。
東の空がだんだん明るくなってきた
高知の朝です。
昨日に続き今日も5月並みの暖かさ、
上着の調整が必要ですね。
水曜日、今日も一日よろしくお願いします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
社長兼COOの
チャールズ・E・ウィルソンだけが、
提案に注意を向けてくれた、
とした。
そして、ドラッカーが
初めてウィルソンに会ったのは、
GMで調査を始めて
ちょっとした後のことだったが、
彼は入院していた、
と続ける。
GMの社長として、
日本の真珠湾攻撃後に始まった
民需生産から軍需生産への転換の
全責任を負っていたため、
二年間にわたって、
一日も休まず、
夜も家に帰らない生活が続いた。
「こうして1943年、
GMが国防省と結んだ生産契約の
すべてが軌道に乗った。
しかも生産量が、
限界とされていたものの
三倍に上ったものもあった。」
(3 アメリカの日々14章プロの経営者、アルフレッド・スローン)
コメント