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■位置関係が大事■~仕事に必要な情報はどこにあるか。~

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マネジャーの仕事、四つの視点。 3,4点目 ◆上、下、横との関係 ◆情報の流れにおける位置 マネジャーの仕事は、上司や同僚、部下との間でどの様な 位置関係を作るかによって規定されると共に、自らが必要とする情報と その情報の流れの中での位置によっても規定される。 仕事に必要な情報は何であり、その情報はどこにあるのかを 常に意識する必要がある。 さらに、その情報を持つ人に対して、どのような情報をどういった理由で 必要とするのかについても理解してもらわなければならない。 また、周りの人が自分に対して、どのような情報を必要としているかについても 考えなければならないとする。 「仕事に必要な情報が何であり、  どこから手に入れるかを常に考えなければならない。  それらの情報を提供してくれる者に対して、  必要とする情報の内容のみならず、  その理由も理解してもらわなければならない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■割り当てる仕事■~優れた成果をあげる者~

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ドラッカーはマネジャーの仕事は四つの視点から設計しなければならないとする。 2点目 ◆割り当てる仕事 トップマネジメントは、自分だけで仕事をしても組織の成果とはならない。 組織の様々な部門で働くマネジャーへの仕事の割り振りが問題である。 組織はそのあり様に応じて職務規定を決めて組織全体の成果を定義する。 その中で、それぞれのマネジャーが果たすべき最低限の貢献を定めている。 しかし、実際に仕事を割り振る際にはこの職務規定に制限されていてはいけない。 これをいかに超えたものにするかどうかがトップマネジメントの責任である。 「割り当てる仕事というものがある。  個々のマネジャーに対し、  組織や上司が設定する責任である。  この貢献の責任が、職務規定に示したものを超えていることが、  優れた成果をあげる者の印である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■逃れることのできない責任■~マネジャーの仕事そのもの~

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ドラッカーは、マネジャーの仕事は四つの視点から設計しなければならないとした。 ◆マネジャーの仕事そのもの。 ◆割り当てる仕事。 ◆上、下、横との関係。 ◆情報の流れにおける位置 ◆マネジャーの仕事そのもの。 まず1点目は、マネジャー本来の機能である、マネジャーの仕事そのもの。 これは継続的な日常業務であり、営業部長や経理部長とといった職務を指す。 これは組織全体を成立させる基本的な機能である。 ドラッカーは、マネジャーの仕事を設計するに当たり、 まず考えるべきことは、このマネジャーの仕事そのものだとする。 「自らの仕事を主体的に知ることは、個々のマネジャー  本人の責任である。  彼に期待すべきことは、自らの職務を書き表し、  彼自身ならびに彼の部門が責任を負うべき成果と貢献について提案し、  他との関係を列挙し、必要とする情報と他に貢献できる情報を  明らかにすることである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■職務設計の四つの視点■~関係の一つにすぎない。~

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マネジャーの働きに障害となるような間違った考えや行動を指摘した。 では、マネジャーの仕事はどのように設計しなければならないのか。 マネジャーにとって、自らの部下の人数について指摘する。 何人いるかは問題ではなく、重要なことは関係の数であり、 部下との関係は、マネジャーの扱う関係の一つにすぎないとする。 ドラッカーは職務設計に当たっての重要な四つの視点を示す。 ◆マネジャーの仕事そのもの。 ◆割り当てる仕事。 ◆上、下、横との関係。 ◆情報の流れにおける位置 「部下が何人いるかは問題ではない。  重要なのは、人間の数ではなく関係の数である。  部下との関係は、マネジャーの扱う関係の一つにすぎない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■「後家づくり」の仕事とは■~偶然から生まれるもの~

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ドラッカーは、マネジャーの働きに障害となるような 間違った考えや行動として、6つの事項を示す。 ◆職務を狭く設計すること。 ◆補佐役という職務につくこと。 ◆単なる調整者となること。 ◆会議や調整が必要な職務 ◆地位と責任の代わりに肩書を与えること。 最後、 ◆「後家づくり」の仕事 後家づくり、つまり本人が死亡し未亡人を作ってしまう仕事である。 仕事自体は、特に大きな問題はないように見受けるが、 優秀なマネジャーが具体的な理由もなく倒れていく。 このような仕事は、二つの資質を併せ待つ者が、結果としてつくりだし、 こなしてしまったものである。 ドラッカーは、このような仕事は、設計しなおさなければならないとする。 「理由はわからないが、その仕事についた優秀な者が  次々に倒れる職務がある。  仕事自体はよく構成され、こなせないはずはない。  しかし、実際にはこなせない。  通常そのような職務は偶然から生まれる。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■肩書を与えること■~ジェスチャーは問題を起こす。~

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ドラッカーは、マネジャーの働きに障害となるような 間違った考えや行動として、6つの事項を示す。 ◆職務を狭く設計すること。 ◆補佐役という職務につくこと。 ◆単なる調整者となること。 ◆会議や調整が必要な職務 次。 ◆地位と責任の代わりに肩書を与えること。 マネジャーの仕事には、目的、目標、機能が必要であり、 加えて、自らが組織の成果に貢献し責任を持つする存在 でなければならない。 したがって、マネジャーの仕事に不足が生じたときや、 貢献に対して報奨しようとする際に、単に肩書きを 与えることをしてはならない。 見せかけや、思わせぶり、つまりジェスチャーとして ポストを与えることは、本人に対して地位と責任を 与えることを意味する。 ドラッカーは、マネジャーが実態にそぐわない 地位と責任と期待を持ってしまうことは組織と 本人にとってあえて問題を起こそうとするに等しい と指摘する。 「肩書は地位と責任を意味する。  ジェスチャーつまり地位と責任の代わりに  肩書を与えることは、  あえて問題を起こそうとするに等しい。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■会議や調整が必要な職務■~仕事と旅行は同時にはできない。~

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ドラッカーは、マネジャーの働きに障害となるような 間違った考えや行動として、6つの事項を示す。 ◆職務を狭く設計すること。 ◆補佐役という職務につくこと。 ◆単なる調整者となること。 次は、 ◆会議や調整が必要な職務 ドラッカーは、マネジャーは、単なる調整者ではなく、 自らも仕事をするプレーイング・マネジャーでなければ ならないとした。 しかしその仕事は、自分自身と直接の部下でできる範囲で できるものにしなければならないとする。 会議や他部門との調整が多いと自らの仕事が進まない。 会議や調整が多いということは、仕事の切り分けや 権限の委譲が適切でないことの表れでもある。 また出張に関しても同様で、頻繁に出張していては仕事に 取り組む時間が制限されてしまう。 「会議や調整が必要な職務はまちがっている。  頻繁に出張しなければならない職務もまちがっている。  仕事と会議が同時にできないのと同様、  仕事と旅行も同時にはできない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■プレーイング・マネジャー■~働くことの尊さを忘れる。~

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ドラッカーは、マネジャーの働きに障害となるような 間違った考えや行動として、6つの事項を示す。 ◆職務を狭く設計すること。 ◆補佐役という職務につくこと。 次は、 ◆単なる調整者となること。 マネジメントの仕事は様々あるが、それはマネジャーが 専念しなければならないほど時間を要するものではない。 また働くことが習慣となっている者にとって、 仕事がないという状況は耐えがたい苦痛である。 マネジャーも同様で、十分な仕事がないと、部下の仕事を とって自らの仕事としてしまうこととなる。 これは部下への権限委譲を少なくすることにつながり、 結果として部下や組織の成長の阻害要因となってしまう。 さらに十分な仕事がないことは、マネジャー自身が 働くことの感覚や、尊さを忘れることになる。 これも組織にとって大きな障害である。 ドラッカーは、マネジャーは、単なる調整者ではなく、 自らも仕事をするプレーイング・マネジャーでなければならないと〆る。 「仕事を持たないことは耐えがたい。  特に働くことが習慣となっている者はそうである。  十分な仕事を持たないことは、本人のためによくないだけでない。  やがて働くことの感覚を忘れ、尊さを忘れる。  働くことの尊さを忘れたマネジャーは、組織に害をなす。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■目的、目標、機能が必要■~人を堕落させる職務~

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マネジャーの働きに障害となるような間違った考えや行動として、 職務を狭く設計することをあげた。 次は、補佐役という職務につくことを指摘する。 補佐役という職務、つまり上司などの仕事を手助けする役目である。 マネジャーは、自ら貢献し責任ある存在とならなければならない。 しかしこの補佐役では、直接貢献できないばかりではなく、 自分だけでは責任ある存在とならない。 ドラッカーは、そのような仕事はマネジャーを人として堕落させるとする。 「マネジャーの仕事には、目的、目標、機能がなければならない。  自ら貢献できなければならない。  責任ある存在とならなければならない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■マネジャーの正しい職務設計■~人と組織を麻痺させる。~

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ドラッカーは、マネジャーには根本的な資質として、 ”真摯さ”が必要であるとした。 次にマネジャーが行うマネジメントの仕事を正しく設計することの必要性を説く。 しかしそのための一般論や正しい職務を設計できる公式はない。 どうすればよいか? ラッカーは、マネジャーの働きに障害となるような間違った考えや行動を知ることにより、 より正しい職務の設計に近づくことは可能となるとする。 ドラッカーは、この好ましからざる考えや行動として次の6項目示す。 ◆職務を狭く設計すること。 ◆仕事とはいえない職務、補佐役という職務につくこと。 ◆単なる調整者となること。 ◆会議や調整が必要な職務 ◆地位と責任の代わりに肩書を与えること。 ◆「後家づくり」の仕事 「マネジャーの仕事は、その職にあるかぎり、  学び、育つことのできるものにしなければならない。  狭く設計した職務は、人と組織を知らぬ間に麻痺させる。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■マネジャーの資質■~才能ではない。真摯さである。~

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ドラッカーは、あらゆるマネジャーには行うべき五つの仕事があるとした。 次にマネジャーの持つべき資質を問う。 マネジャーは、人という特殊な資源とともに仕事をする。 人は、他の経営資源である”モノ、金”とことなり特別の資源である。 マネジャーとしての管理や調整やコミュニケーションなどの能力は 学ぶことができる。 また、管理体制、昇進制度、報奨制度などを通じて人財開発に 有効な方策を講ずることもできる。 しかしそれだけでは不十分ではある。 根本的な資質としての”真摯さ”が必要である。 マネジャーに必要な資質とは、なにか。 ◆一流の仕事を要求し、自らにも要求する。 ◆基準を高く定め、それを守ることを期待する。 ◆何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。 ◆真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。 である。 このような資質を欠く者は、いかに愛想がよく、 人づきあいが良く有能で聡明であっても、組織にとって危険であると共に、 マネジャーとしても、紳士としても失格である。 そして、最重要な資質は”真摯さ”であるとする。 「マネジャーにできなければならないことは、  そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。  しかし、学ぶことのできない資質、  後天的に獲得することのできない資質、  始めから身につけていなければならない資質が、  一つだけある。才能ではない。真摯さである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■マネジャーに共通の五つの仕事■~優れた外科医になれない~

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マネジャーの二つ目の役割は、”今と将来の調和”である。 ドラッカーは、次にマネジャーの行うべき仕事について述べる。 マネジャーは、マネジメント以外に自らの属する部門や組織の仕事に 多くの時間を使う。 営業部長は売上げデータの分析を行い、上得意顧客の相談に乗る。 工場のグループリーダは工具を修理し、生産データの報告を行う。 R&Dは新しい技術を研究し、PMOは組織や作業の品質を管理する。 だがそれらの仕事は、マネジャーだけが行うべき、全てのマネジャーに 共通した仕事ではない。 ではあらゆるマネジャーに共通する仕事とはなにか。 ドラッカーは次の五つであるとする。 ◆目標を設定する。◆組織する。◆勤機づけとコミュニケーションを図る。 ◆評価測定する。◆人材を開発する。 ドラッカーは、マネジャーの仕事を外科医の仕事に例える。 マネジャーは、、目標を設定するというだけでマネジャーになれるわけではない。 同様に外科医は狭いところで糸を結べるだけでは外科医になれない。 外科医は糸を結ぶ技能を向上させれば、それだけ外科医として進歩するように、 マネジャーもこれら五つの基本的な仕事すべてについて、 能力と仕事ぶりを向上させれば、それだけマネジャーとして進歩する。 「目標を設定するというだけでマネジャーになれるわけではない。  狭いところで糸を結べるだけでは外科医になれない。  しかし、目標を設定する能力がなければ適格なマネジャーにはなれない。  それは、糸を結べなければ優れた外科医になれないのと同じである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■マネジャーの二つの役割■~今と将来の調和~

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ドラッカーは、マネジャーには二つの役割があり、その一つ目は、 部分の和よりも大きなものを生み出す組織を作り出すこととした。 二つ目は、 成果を生み出すための意思決定とそのための行動は、 今日必要なものと明日必要となるものとのバランスを とること。 ”今と将来の調和”である。 このバランスを取らなければ組織活動は困難となる。 ではどのようにバランスをとるのか? まず、今日必要な活動のために、明日使うはずの資源や、 活動をどの程度犠牲する必要があるのかを考える。 さらに明日必要となるもののために、今日使うはずの資源や、 活動をどの程度犠牲する必要があるのかを考える。 そして、これらの犠牲を速やかに、最小にとどめる方法を 考えることである。 「あらゆる決定と行動において、  ただちに必要とされているものと  遠い将来に必要とされるものを調和させていくことである。  いずれを犠牲にしても組織は危険にさらされる。  今日のために明日犠牲となるものについて、  あるいは明日のために今日犠牲となるものについて  計算する必要がある。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■オーケストラのコンダクター■~部分の和よりも投入資源の総和~

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組織が成果を生み出すためにはマネジメントが必要であり、 マネジャーにとってこの成果への貢献は責務であるとした。 そして、ドラッカーは、マネジャーには二つの役割があると 続ける。 その一つ目は、 部分の和よりも大きなものを生み出す組織を作り出すこと。 オーケストラの奏でる楽曲は、指揮者のコンダクトにより、 各演奏者の音がハーモニーとなって生きた音楽となる。 マネジャーも同様に、自らの組織で働く人たちの あらゆる強みを発揮させるとともに、あらゆる弱みを 消さなければならない。 あるメンバーの持つ弱みは、他のメンバーの持つ強みで 補い組織全体を調和させること。 これこそ真の全体を創造する唯一の方法である。 さらにマネジャーには三つの役割もあるとする。 それは事業自体のマネジメントであり、働く人と仕事マネジメントであり、 社会的責任の遂行である。 そしてこの三つのうち一つでも犠牲にする意思決定や行動は、 組織全体を弱体化させるものとする。 「マネジャーは、個々の活動のみならず、  全体の成果を見なければならない。  その仕事はオーケストラの指揮者に似ている。  第ニオーボエとともにオーケストラ全体の音を聴く。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  22 マネジャーの仕事)     

■専門家には助けが必要■~道具、ガイド、エージェント~

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専門家は、組織内の人たちが必要とするものを 供給することが最大の務めであり、そのためには 専門用語に頼らないコミュニケーションが必要である。 ドラッカーは、このことを専門家に認識させることが マネジャーの仕事であるとした。 さらに、組織の目標を専門家の用語に翻訳し、 逆に専門家の使う専門用語を組織の言葉に翻訳することも マネジャーの仕事である。 言い換えると、専門家が自らのアウトプットを組織の他の人間が 使えるようにの仕事と統合するうえで頼りにすべき者がマネジャーである。 専門家が効果的であるためには、マネジャーの助けを必要とする。 そのためにマネジャーは専門家のボスではなく専門家にとっての道具、 ガイド、マーケティング・エージェントでなければならない。 さらにドラッカーは、組織における教師であり教育者であるとともに、 自らの属するマネジメントを導き、新しい機会、分野、基準を示すことが 専門家の仕事であるとする。 「専門家が自らのアウトプットを  他の人間の仕事と統合するうえで  頼りにすべき者がマネジャーである。  専門家が効果的であるためには、  マネジャーの助けを必要とする。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  21 マネジャーとは何か)     

■マネジャーとは何か■~理解されてこそ有効な存在~

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本日から「第5章 マネジャー」に入る。 この章でドラッカーは、マネジャーというものを定義し、 その役割について問う。 第一に必要なことは、誰がマネジャーかを明らかにすることであり、 それを見分ける基準は、権限ではなく、貢献する責任にあるとする。 まず、マネジャーと専門家との関係について指摘する。 専門家にとってはコミュニケーションが問題である。 自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることが、 専門家にとって最大の課題である。 彼らが生み出すものは知識・情報であり、それが組織の他の人たちの インプットにならないかぎり、成果とはならない。 専門家のアウトプットを使う者は、彼らの言おうとしていること、 行おうとしていることを理解しなければならない。 しかし彼らは専門用語なしでは話せない。 その専門用語は専門家のアウトプットを使う者にとっては難解であり、 自らの仕事に結びつける際に大きな障害となる。 専門家は彼らの顧客である組織内の人たちが必要とするものを 供給しなければならない。 ドラッカーは、このことを専門家に認識させることは、 マネジャーの責任であるとする。 「マネジャーを見分ける基準は命令する権限ではない。  貢献する責任である。  権限ではなく、責任がマネジャーを見分ける基準である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第5章 マネジャー  21 マネジャーとは何か)     

■マネジメントという骨格■~堅い皮膚で支えられた昆虫~

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ドラッカーは、マネジメントの質の変化の必要性について、 堅い丈夫な皮膚で支えられた昆虫と、骨格で支えられた脊椎動物に例える。 昆虫は堅い皮膚で支えられているため、ある一定の大きさと複雑さ以上には 成長できない。 成長するためには、骨格が必要となるが、その皮膚が骨格に進化することはない。 皮膚と骨格は発生源の異なる異質の器官である。 企業に置き換えると、オーナー兼起業家という堅い皮膚で支えら得た企業は 一定以上の成長に耐えられない。 成長のためには、マネジメントを必要とする。 この堅い皮膚をマネジメント・チームという骨格と交替する必要がある。 しかも皮膚は骨格に進化することはない。完全な交替が必要になる。 企業が成長に際して、多様な課題を同時に遂行する必要が出てきたとき、 そこにマネジメントがなければ、組織は管理不能となり、 目的を達成するために必要となる計画は実行されなくなる。 管理されない組織は各部分が、勝手な目的と目標を持ち活動するようになる。 ドラッカーは、たとえ製品が優れ、従業員やボスがいかに有能であっても、 マネジメントのない組織に成長はないとする。 「マネジメントを欠くとき、組織は管理不能となり、  計画は実行に移されなくなる。  組織は、マネジメントという骨格を持つように変身しないかぎり、  失敗を重ね、停滞し、坂を下りはじめる。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (パート2 20 マネジメントの必要性)     

■マネジメントは企業の基礎資源■~現実とニーズに根ざした存在~

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本日から、マネジメントの必要性に関するパート2に入る。 マネジメントは企業の基礎資源であり、そのマネジメントがいかにマネジメントし、 マネジメントされるかによって、組織の目的が達成されるか否かが決まる。 ドラッカーは、1900年代のアメリカ、フォード社の盛衰を例に挙げる。 アメリカの自動車市場をほぽ独占的に支配し、世界中でリーダーの地位を占めたが、 わずか数年後年には、リーダーとしての地位を失った。 その原因は、創業者であるヘンリー・フォードが、マネジメントを不要としたためである。 その後、後継者により立て直しがはかられたが、その要因は、 それまでの取り巻きを追放し、新しいマネジメント・チームを導入したことだった。 マネジメントの存否が企業の命運を左右した例である。 「マネジメントとは自立した存在である。  企業の現実とニーズに根ざした存在である。  それゆえに、マネジメントの職務が存在する。  マネジメントの仕事が存在し、その技能が存在し、  そのための組織が存在する。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (パート2 20 マネジメントの必要性)     

■プロフェッショナルは私的であり公的である。■~癌細胞の増殖を助長する。~

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ドラッカーは、企業の公的責任の倫理の基本が、 「知りながら害をなすな」とする。 その上で、プロフェッショナルは自立性を持たなければならない。 顧客の言うがままではなく、自らの知識と判断で自ら決定しなければならない。 この面からみると、プロは”私的”な存在でなければならないことを意味する。 しかし同時に、私的な利害ではなく、顧客の利害言い換えれば、 公的な利害によって動くという意味では”公的”である。 これがプロに与えられる自立性の基礎であり根拠であり、 このプロの倫理の基本が、「知りながら害をなすな」である。 たとえば、自らの事業が社会に与えている悪影響について、 自社の業績やブランドにとってマイナスになるとの理由から、 適切な解決策を実行しないマネジメントは、知りながら害を なしていることになる。 ”知りながら癌細胞の増殖を助長している”のだ。 「適切な解決策を検討せず、あるいは検討しても実行しないマネジメントは、  知りながら害をなしていることになる。  知りながら癌細胞の増殖を助長している。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 19 プロフェッショナルの倫理~知りながら害をなすな)     

■正当な権力の行使ではない。■~倫理ではなく、個人の貢献の問題~

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ドラッカーはマネジメントの責任と倫理について、彼らには、 プロフェッショナルの倫理、つまり責任の倫理を要求されるとする。 ギリシャの名医ヒポクラテスは、「知りながら害をなすな」との 誓いをたてた。 患者が信頼を寄せて自らの命を託す医者は、患者の命に値する信頼感が 得らなければ、命を守るプロではないとの決意である。 一方企業活動は、社会や個人の抱える問題を解決するプロフェッショナル である。 社会や個人は自らそれらの問題を解決する術を持たない。 例えば病気になれば病院に頼り、出かけるときには電車を使う、 電気も水道もガスも自ら作り出すことはできない。 一人ひとりの個人は何事についてもプロではないため、 プロフェッショナルとしての企業が誠意をもって その務めを果してくれないとすると個人は途方に暮れるのだ。 しかし、いかにプロフェショナルとしても、顧客に対して 絶対に良い結果を出すとの約束はできない。 行うべきことは、プロフェショナルとしての最善を尽くすということと、 顧客に害を及ぼす可能性があることを知った上での”悪意の行為”はしない との約束である。 『知りながら害をなすな』は、社会に許されて存在する企業として、 究極的な社会的責任ですね。 「最善を尽くすことしかできない。  しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束は  しなければならない。  顧客となるものが、プロたるものは知りながら害をなすことはないと  信じられなければならない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 19 プロフェッショナルの倫理~知りながら害をなすな)     

■正当な権力の行使ではない。■~倫理ではなく、個人の貢献の問題~

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プロフェッショナルの倫理については、企業倫理以前に2点の問題がある。 ドラッカーは、さらに第三のテーマが加えられるようになったとする。 マネジメントが、自らの時間を地域社会の活動に使うことが倫理的な 責任であるとすることだ。 しかし、この種の活動は強制されるべきものではなく、 この参加が、企業内で賞されることがあってはならない。 さらに、このことによる、報酬や昇進または参加を命じたり、 圧力をかけることは、マネジメントの正当な権力の行使ではなく 組織の力の乱用であるとする。 地域社会の活動に参加することは望ましいことである。 しかしドラッカーは、これらの活動は、企業倫理とも社会的責任とも関係のない 個人の社会貢献の問題であるとする。 「地域社会の活動に参加することは望ましいことである。  しかし倫理とは関係ない。責任とも関係ない。  隣人として、一市民としての資格における個人の貢献の問題である。  仕事の外にあるもの、マネジメントに関わる責任の外にあることである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 19 プロフェッショナルの倫理~知りながら害をなすな)     

■人としての美意識の問題■~コールガールを雇うことは、倫理の問題ではない。~

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ドラッカーは、プロフェッショナルの倫理について、 企業倫理以前の問題があるとする。 その二つ目は、人間としての美意識の問題だ。 顧客をもてなすために”酒池肉林”や快楽を提供することは、 企業倫理の問題ではなく、人間としての美意識の問題である。 企業倫理として行ってはならないということではなく、 人としての問題である。 逆に言うと、美意識のないマネジメントがこれらの行為を行ったとしても、 これは個人の問題で、企業倫理を問われることではない。 しかし、これはマネジメントの必須条件である”真摯さ”から見るときには、 その適正を問われるべきことであろう。 「顧客をもてなすためにコールガールを雇うことは、倫理の問題ではない。  人間としての美意識の問題である。  髭を剃りながら、鏡のなかにポン引きの顔を見たいかどうかの問題である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 19 プロフェッショナルの倫理~知りながら害をなすな)     

■プロフェッショナルの倫理■~個人、家庭、学校の道徳観に関わる問題~

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引き続きドラッカーは、プロフェッショナルの倫理について指摘する。 まづ、企業倫理や企業人の倫理については、企業倫理以前の問題が 二つあるとする。 ひとつは、まったく単純な日常の正直さについてで、 二つ目は、人間としての美意識の問題だ。 詐欺、窃盗、増収賄、ごまかし、嘘などは現実世界で頻繁に目にするし、 程度によっては身の回りでも起こっている。 しかしこれは、企業人だからやってはならないことではない。 人間としてやってはならないことなのだ。 また、たとえ企業や政府などの重職や、教授医師、宗教家といえども、 その職務や仕事によって、これらの人間行動の一般的なルールから 除外されることはない。 かれらは職務に任命されることによって、人間でなくなるわけではないのだ。 世の中に、ごまかしたり、盗んだり嘘をついたり、贈賄したり収賄したりする 人間というものは、常に存在する。 ドラッカーはこれは、ビジネスの倫理というものではなく、個人、家庭、学校の 道徳観に関わる問題であるとする。 必要なことは、企業の重役であれ誰であれ、誘惑に負けたものを厳しく罰すること だけである。 「われわれは、企業人たるものはごまかしたり、盗んだり、嘘をついたり、  贈賄したり、収賄したりしてはならないと厳かに言われる。  しかしこれは、企業人のみならず、誰もがしてはならないことである。  いかなる人間といえども、その職務や仕事によって、  人間行動の一般的なルールの適用を免れることはできない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 19 プロフェッショナルの倫理~知りながら害をなすな)     

■政府との関係をどう考えるか■~政治学者による解決を待てない。~

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ドラッカーは、企業の最大の社会的責任とは、自らに特有の機能を 果たすことであり、さらに能力を超えて取り組むことは 企業のマネジメントの最大の無責任とした。 次に考えなければならないことは、政府との関係である。 組織社会の現実とニーズは常に変化する。 政治理論はその変化に応じた新しいものでなければならない。 しかしその新しい政治理論ができるまでの間も、政府と企業は 現在必要とするそれぞれの仕事を行わなければならない。 さらに、それらの仕事のうち、政府と企業が協力して取り組むべきものと、 別個に取り組むべきものとを見分けなければならない。 政治理論が誤っていれば企業や、企業の基盤である社会の活動が阻害される。 なので、新しい政治理論ができるまでの間、たとえケース・バイ・ケースであっても、 問題の考え方や基準を手にしておかなければならない。 ドラッカーは、その実行結果は企業、経済、社会にとってあまりに大きなものがかかる。 したがって、その実行を監視することは、政治学者ではなくマネジメントの仕事であるとする。 「われわれは、たとえケース・バイ・ケースであっても、  問題の考え方や基準を手にしておかなければならない。  しかも、それらの中間的な解決が、われわれをまちがった方向にコミットさせ、  優れた解決の道を閉ざし、政府と企業の間にまちがった  関係をもたらすことのないようにしなければならない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 18 企業と政府)     

■最大の無責任とはなにか■~リーダー的な地位にあるもの~

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ドラッカーは、企業のマネジメントは、社会の問題に対しての要求が 組織の能力以上のものであるときには抵抗しなければならないとした。 そしてさらに、責任が不当な権限を意味するときにも抵抗しなければならないとする。 しかし、問題がきわめて重大な場合について、企業は関心を払わないことは許されない。 組織社会においては、企業のマネジメントこそ、リーダー的な地位にあるからである。 先進社会は、全体主義社会として機能することはできない。 社会的な課題のほとんどが、自立したマネジメントを持つ組織によって対応される。 そのようにして社会的な課題が果たされて、初めて先進社会が生まれるのだ。 「組織が果たすべき最大の貢献、すなわち最大の社会的責任とは、  自らに特有の機能を果たすことである。  したがって最大の無責任とは、能力を超えた課題に取り組み、  あるいは社会的責任の名のもとに他から権限を奪うことによって、  自らに特有の機能を遂行するための能力を損なうことである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 17 社会的責任の限界)     

■権限を持っているか、持つべきか■~越権と無責任を招く。~

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企業のマネジメントと社会的責任に関するドラッカーの指摘は続く。 ドラッカーは、社会的責任に関するもっとも重要な限界は、”権限の限界”であるとする。 そして、権限は単独に存在するものではなく、責任と一体になっているものである。 社会的責任を負うためには、常に社会的権限を要求する。 しかし自らのもたらす影響については、それがいかに偶発的かつ無意識のものであっても、 自動的に責任が生ずる。それは自らの権限のもとで行った活動の結果だからである。 また、企業が社会の抱える問題についての責任を問われたときには、 「権限を持っているか、持つべきか」を自問し、もし権限を持たず、 また持つべきでないならば、責任を負うことの是非に疑いを持つべきであるとする。 「権限を持つ者は責任を負う。  逆に責任を負う者は権限を要求する。  責任と権限は、同一のものの両面である。  社会的責任を負うということは、  常に社会的権限を要求することを意味する。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 17 社会的責任の限界)     

■能力と価値観による限界■~価値観を変えることはできない。~

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ドラッカーは、企業のマネジメントが自らの企業を経営不振に 陥れることは、単なる無責任であるとした。 そして、さらに自らに能力のない仕事を引き受けることも、 無責任であるとする。 それは、相手に期待を持たせたあげく失望させるむごい行動である。 企業にはそれぞれ、能力と価値観による限界があるのだ。 企業は、自らが生み出す社会的影響についての責任を果たすうえで 必要な能力は、すべて身につけておかなければならない。 しかし、それ以外の社会的責任の分野においては、 自らの能力が限界となる。 企業にとって、技術や知識は容易に入手できるが、 自らの価値観を変えることはできない。 単に社会的な観点からだけで、自ら価値を感じていない活動のために 十分な資源を費やすことはない。 またそれらの問題について、その全貌を理解することは困難であり 多くの場合間違った結果を生み出す。 企業は、能力のない分野において、価値を見出し敬意を持てるわけはなく、 またそれに対応する能力を持つこともできないのだ。 なのでマネジメントは、”自らと自らの組織”にとって欠けている能力を 知らなければならないのだ。 「組織、特に企業は、自らが及ぼす社会的影響について責任を果たすうえで必要な能力は、  すべて身につけておかなければならない。  しかし、それ以外の社会的責任の分野においては、  行動の権利と義務は自らに固有の能力によって限定される。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 17 社会的責任の限界)     

■本来の機能を遂行する。■~”よき隣人”ではない。~

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ドラッカーは、企業のマネジメントが自らの企業を経営不振に 陥れることは、 単なる無責任であるとした。 そして、社会的責任を果たすためにも、企業のマネジメントは 利益の必要性とその機能について知らなければならないとする。  経営不振の企業は、人々を雇用できないだけでなく、 働く人の能力強化や新しい機会や将来を生み出すことができない。 地域社会への貢献放棄、社会の中での”よき隣人”ではないのだ。  そのためにマネジメントは、現在と将来の活動に必要な利益の 最低限度というものを知っておかなければならない。  しかし、マネジメントが本来の利益の必要性ではなく、 ”利潤動機”のみを求めるとすると、社会的責任について 合理的な意思決定を行うこともできない。  ドラッカーは、自らの組織に特有の機能を危うくしては、 いかに素晴らしい動機や思いによる活動であっても マネジメントの責任放棄というべきであるとする。  「破産する企業は、望ましい雇用主ではない。   地域社会にとっても、よき隣人ではない。 明日の職場や働く者のための機会を生み出すことができない。   同じように、明日のリーダーや専門家を養成することのできない大学は、 いかに多くのよい仕事に携わっていたとしても、   責任ある大学とはいえない。」 ~ P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 17 社会的責任の限界)   <A HREF="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?rt=ss_mfw&ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%2FJP%2Fken3taka-22%2F8001%2F7c287fd5-2614-448d-be48-af0bc1729d05&Operation=NoScript">Amazon.co.jp ウィジェット&l

■マネジメントは召し使いである。■~企業に特有の使命を果たす~

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ドラッカーは、マネジメントにとって最大の役割は、 企業を機能させ、その目的とする貢献を果たさせることとする。 マネジメントがいかに社会の問題について対応できたとしても、 自らの企業を不振に陥れたのでは、単なる無責任である。 企業は社会の機能の一部であるので、それぞれが特有の使命を 果たすことは、社会にとって必要なことなのだ。 社会のしくみの構成要素である個々の企業が、 それぞれ特有の機能を遂行することができなければ 社会全体の機能が損なわれることとなる。 社会的損失である。 ドラッカーは、どのような組織でも、本来の機能の遂行という 最大の責任を果たさないならば、他のいかなる責任も果たせないと 指摘する。 「マネジメントは召し使いである。  主人は、彼らがマネジメントする組織である。  したがって、マネジメントにとって最大の役割は、  自らの組織に対するものである。  すなわち企業、病院、学校、大学の別を問わず、  組織を機能させ、その目的とする貢献を果たさせることである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 17 社会的責任の限界) marginheight="0" frameborder="0"> height="60" scrolling="no" border="0" marginwidth="0" style="border:none;" frameborder="0"> <a HREF="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?rt=ss_mfw&ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%</p> <p>&

■マネジメントの社会的責任の限界■~企業と社会の健康~

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ドラッカーは社会の問題を事業に転換することは、 企業の機能であるが、あらゆる問題が、機会に 転換できるわけではないとする。 企業が対応できない問題、つまり社会が抱える 慢性病や退化病といえる社会の問題である。 企業は社会の中で存在する。 米や野菜は健康な田畑がなければ育たないことと同じで、 企業の健康は社会の病気と両立しない。 だからこそ、社会の問題も、企業のマネジメントにとっては 重要な問題なのだ。 そしてこれらの問題は、自然になくなることはなく、 誰かが何かをしなければ解決されない。 それでは、企業のマネジメントは、自らの影響で生じた問題ではなく、 また事業上の機会に転換することができない問題について、 どの程度まで責任をとる必要があるのか。 今の日本における社会が抱える労働力不足、高齢化社会、福祉、 食糧不足などの問題をマネジメントの社会的責任にすることはできるのか。 ドラッカーは、企業のマネジメントの持つ社会的責任の限界について問いかける。 「企業の健康はマネジメントの責任であり、  企業の健康は社会の病気と両立しないからである。  企業が健康であるためには、健全な、  少なくとも機能する社会が必要である。  社会と地域の健全さこそ、  企業が成功し成長するための前提である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 16 社会的影響と社会の問題) Amazon.co.jp ウィジェット