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11月, 2020の投稿を表示しています

■西洋ならざる西洋■~南北対立の到来~

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 おはようございます。 今季一番の冷え込みの川崎の朝です。 段々陽射しが強まり、 日中は暖かい一日になりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーが、 ポランニー家の 次男アドルフに会った時には、 すでに80歳という高齢に達していたが、 疲れを知らぬ語り手で、 ビジョンの人だった、 とした。 そして、 アドルフは、 次から次へと人名と地名を挙げ、 ビジョンを語り、 世界を論ずる様は、 中国の軍閥の名を唱えていた ウィーン時代のカールそっくりだった、 と続ける。 当時アドルフ・ポルは、 少なくとも世に10年は先駆けて、 主として白人から成る先進国と、 主として非白人から成る 途上国との間の、 南北対立の到来を危惧していた。 「彼もまた夢破れた人だった。  もはや、ブラジルが  未来の社会となることに  期待はしていなかった。  『ブラジルは日本のようになる。  西洋ならざる西洋、マイアミの郊外になる』  と言っていた。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■疲れを知らぬ語り手■~ビジョンの人だった。~

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 おはようございます。 薄曇りの川崎の朝です。 冷え込みましたが、日中も寒そうです、 暖かくしてお過ごし下さい。 日曜日、良い休日でありますように! ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ポランニー家の次男アドルフは、 第二次大戦後、近代ブラジル絵画、 文化と芸術の一大爆発を ブラジルに引き起こした、 とした。 ドラッカーは、 このアドルフ・ポルには、 ニューヨークのコロンビア大学近くの、 カール・ポランニーのアパートで 何回か出会った、 と続ける。 アドルフもポランニーから ポルに改姓しており、 1950年代にあった時には、 すでに80歳という高齢に達していた。 「ニューヨークには  何か持病の治療のために来ていたが、  そのままニューヨークで  一年ほどして亡くなった。  しかし、当時でさえ、  彼は、疲れを知らぬ語り手であって、  ビジョンの人だった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ブラジルの大陸的使命■~新しい文明の創造の可能性~

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 おはようございます。 快晴の川崎の朝、 一段と冷え込みました。 来週は早くも師走に突入、 最後まで落ち着かない一年になりそうですね。 土曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ポランニー家の次男アドルフは、 ブラジルに魅せられそのまま永住した、 とした。 そして、彼をブラジルに引き付けたものは、 ヨーロッパの衰退する 資本主義とは違う新しい社会、 白人、黒人、原住民が一体となって、 近代的でありながら部族的、 自由でありながら個を尊重するという 新しい文明の創造の可能性だった、 と続ける。 彼は、第一次大戦後、 政治家、社会学者、小説家、 音楽家、画家の中心となって、 新たな文化を目指す 新生ブラジル運動を起こしたが、 この運動が、 第二次大戦後、近代ブラジル絵画、 近代ブラジル音楽、 近代ブラジル建築という、 文化と芸術の一大爆発を ブラジルに引き起こした、 とする。 「ブラジルの大陸的使命なるものを説き、  ヨーロッパと無縁の内陸奥深くに  首都を建設すべきことを説いたのも、  アドルフだった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■次男アドルフ・ポルと新生ブラジル運動■~社会発展のための道具~

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 おはようございます。 雲の合間から明るい陽が射す川崎の朝です。 雲が多く寒い一日になりそうです。 暖かくしてお出かけください。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ポランニー家の次男アドルフも、 父親と同じように技術者で、 鉄道家になり、 第一次大戦の前、 ブラジルで鉄道建設に携わった、 とする。 そして彼は、 ブラジルの地に魅せられ そのまま永住したが、 技術コンサルタントとして 鉄道、港湾、発電所、工場の建設に携わり、 その彼の関心も、実は経済と社会にあった、 と続ける。 「アドルフにとっても、  鉄道、港湾、発電所は、  社会の発展のための道具の一つにすぎなかった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■夢破れた一老人■~ムッソリーニへの失望~

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 おはようございます。 未明の川崎、 まだ冷え込んでいますが、 日中は20度近くになり、 ぽかぽかの一日になりそうです。 木曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 オットー・ポランニーは 相当の資産家になっていたが、 政治的には 熱烈なマルクス主義者で、 ムッソリーニを共同体国家主義、 古代共和制の復活に向かわせた、 とした。 そして、 カールはオットーのことは あまり話したがらず、 一家全員も、 オットーがファシズムと かかわりを持ったときに縁を切っていた、 と続ける。 しかしカールは、 1930年代の半ばに 一度だけオットーに 触れたことがあった、 とする。 「オットーはムッソリーニに失望し、  今では軽蔑さえしているが、  ムッソリーニのほうからも  忘れられた存在、  夢破れた一老人に  成り果てたとのことだった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ムッソリーニの転向■~古代共和制の復活~

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 おはようございます。 曇り空の川崎の朝です。 関東地方は、 昨日からの曇天を引きずり、 にわか雨のところも。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 オットー・ポランニーは 1910年には、 イタリアの財界人として 相当の資産家になっていた、 とした。 ところが政治的には 熱烈なマルクス主義者となり、 社会主義の新聞『アヴァンティ』を創刊した、 と続ける。 加えて、マルクス主義者より さらに過激な社会主義者、 ベニート・ムッソリーニを 同紙の主筆に据え、 第一次大戦によって 社会主義者としての夢を打ちくだかれた後も、 ブルジョワ社会に代わる社会を追い求めた。 「戦傷から回復しつつあった  ムッソリーニを社会主義から転向させ、  資本主義でも社会主義でもない共同体国家主義、  古代共和制の復活に向かわせたのが、  他ならぬこのオットー・ポルだった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■長男オットー・ポルとファシズム■~実業家としての成功~

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 おはようございます。 未明の川崎、空は雲に覆われているようです。 三連休明けの今日は一日曇り空、 気温も下がる予報です。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 カール・ポランニーの兄弟たちは 個性溢れる卓越した若者へと育っていった、 とした。 そして、 1870年代はじめに生まれた 長男のオットーは、 父親と同じ工学を専攻し、 若くしてハンガリーを離れ スイスとドイツで働き、 機械の設計者となり、 やがて実業家として成功した、 と続ける。 オットーは、 1895年にイタリアへ渡り、 倒産寸前の機械メーカーを手に入れ、 その後、設立されたばかりの フィアットを納入先とする ブレーキ、ハンドル、その他、 自動車部品のメーカーとして 再建に成功した。 「名前もポランニーからポルに変えた。  こうして1910年には、  イタリアの財界人として  相当の資産家になっていた。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ルソーの『エミール』の処方■~個性溢れる卓越した若者~

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 おはようございます。 薄曇りの川崎の朝です。 コロナ感染者数記録更新の中、 三連休中日の昨日は、 どこも賑わったようですね。 アクセル踏んだままなので当たり前でしょ。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 カール・ポランニーの兄弟たちは 自宅敷地の真ん中にある城に住まわされ、 誰からも隔離された子供時代を送らされた、 とした。 そして、 父親はルソーの『エミール』の処方に従い、 世俗の世界から隔離して 子供を育てようとしたもので、 ジェームス・ミルが ジョン・スチュアート・ミルを教育したように、 あるいはそれさえも改善して教育しようとした、 と続ける。 「驚いたことに、  五人の子供のうち一人として馬鹿にもならず、  それどころか、  個性溢れる卓越した若者へと育っていった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■隔離された子供時代■~会えるのは家庭教師だけ~

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 おはようございます。 薄曇りの川崎の朝ですが、 これから雲がとれそうです。 三連休中日は行楽日和になりそうですが、 人混みは避けましょう。 日曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 カール・ポランニーの両親は、 オットー、アドルフの男の子二人、 その下に女の子のモウジー、 そしてカールとマイケルの 二人の男の子の五人の子をもうけた、 とする。 ところが彼ら五人は、 学齢期に達するや、 彼らのために父親が 買っておいた麦畑の 真ん中の城に住まわされ、 誰からも、そして特に互いに、 隔離された子供時代を送らされた、 と続ける。 「会えるのは家庭教師だけだった。  ハンガリー人の家庭教師のほか、  イギリス人、フランス語圏スイス人、  ドイツ語圏スイス人の三人の外国人家庭教師が、  一週間ずつのローテーションで一人ひとりに教えた。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ポランニー家の風変わりな教育■~母親セシリア・ポランニー~

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 おはようございます。 まだ薄曇りの川崎の朝ですが、 段々晴れて、 三連休初日の今日は好天に恵まれそうですね。 人混みに注意してお楽しみください。 土曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーが、 最初に出会ったポランニー家の一員が、 カール・ポランニーの母親である セシリア・ポランニーで、 1920年代のことだったが、 毒舌で怖れられる 皺だらけのおばあさんになっていた、 とする。 ときには機智に富むことも言っていたが、 イギリスで初めて労働党が 政権を取ったときには、 他の国でのことなら、 よいことなんだが、 イギリスという国は、 召使いのほうがご主人よりも卑しい という珍しい国だからね、 と言った、 と続ける。 しかし通常は、 単に口が悪いというだけのことで、 知り合いマーガレットのご主人が 偽造通貨を使って逮捕されたときなどは、 次のとおり一蹴していた。 「マーガレットにとっちゃよいことだね。  いつも女のことでこぼしていたけど、  これで亭主も浮気はできなくなったわけだ」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ハンガリーの鉄道王■~ロシアの伯爵令嬢~

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 おはようございます。 雲がびっしりと空を覆う川崎の朝です。 今朝は生温かくさえ感じますが、 日中も20度超え、にわか雨も予想されます。 ご注意を。 新型コロナ感染者数は、東京で最多を記録し、 全国数も最多となった。 個人生活の面で出来ることはやっていると言うが、 まだまだ食事や電車でのおしゃべりが止まらない女性が目に付く。 このようなことは個人の意識でなんとかなるだろうが、 一方で個人ではどうにもならないこともある。 そこは行政の責任で、個人に自主的判断と言われても、 責任転嫁でしかない。 金曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ カール・ポランニーの父親についての話が続く。 ドラッカーは、 すでにハンガリーは、 ハプスブルク家との戦いに勝つことではなく、 鉄道と農業近代化によって、 近代的ではあっても ブルジョワ的ではない 社会の建設に向けて歩み始めていた、 とする。 そして、その後ポランニーの父親は、 帰国して何年かした後には、 ハンガリーの鉄道王となり、 あらゆる国の鉄道王たちと同様、 ビジョンを持って鉄道を建設していった、 と続ける。 さらにポランニーの父親は、 あらゆる国の鉄道王たちと同様、 手を広げすぎ、 倒産し、1900年頃 失意のうちに他界した。 彼がハンガリー随一の 市民階級の金持ちとして 全盛時にあった1868年頃、 20歳年下のセシリアと結婚したが、 彼女は、ロシアの 伯爵令嬢でありながら アナーキリストだった。 「貴族の令嬢向けの女学校の  生徒だった10代半ばの頃、  学校の化学実験室で爆発物をつくり、  それを使った兄たちが、  ある警察幹部を殺害した。  ポランニーと知り合い結婚したのは、  この爆弾事件でスイスに逃れ、  チューリッヒにいた頃だった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■カール・ポランニーの両親■~若くしてゲリラの隊長~

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 おはようございます。 夜明け間際の川崎の朝、 暖かです。 日中も20度近くで、 暖かな一日になりそうです。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 カール・ポランニーの 父親は知らなかったが、 生まれたのは、 1825年から30年の間で、 ハンガリーの山岳地帯の ユダヤ人居住区でだった、 とする。 そして彼は、 1848年のハプスブルク家に対する ハンガリー反乱で学生指導者として活動し、 雄弁家として鳴らし、 若くしてゲリラの隊長として、 オーストリア軍及びロシア軍と戦い、 ゲリラが壊滅させられた後、 スイスに亡命して工学を学ぶとともに、 プロテスタントのカルバン派に改宗した、 と続ける。 「その後10年ほど  ヨーロッパ各地で鉄道建設にかかわり、  財を成した。  やがて1850年代の末、  恩赦を受けてハンガリーに戻り、  今度は、1848年の反乱で  実現できなかったことを  別の方法で行なおうとした。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■見つけたものが答えでない■~成功者と同時に失敗者~

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 おはようございます。 薄曇りの川崎の朝です。 このところ小春日和の毎日ですが、 今日も暖かそうです。 夏日のところも。 休肝日明けの水曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ポランニー兄妹は、 聖杯を求めて旅立った 円卓の騎士たちを思い起こさせた、 とした。 そして、 彼らの全員が答えを見つけ、 そして全員が、 見つけたものが答えでないことを知った、 と続ける。 ドラッカーは、 世間一般の尺度によれば、 彼らほどの成功者はいなかったと同時に、 彼ら自身の尺度によれば、 彼らほどの失敗者はいなかった、 とする。 「また、彼らほどに活力に溢れた  興味深い人たちもいなかった。  そして、そのなかでも、  カール・ポランニーが抜きん出て  興味ある人物だった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■大義を同じくする一家■~聖杯を求めた円卓の騎士~

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 おはようございます。 薄曇りの川崎の朝です。 昨日は小春日和で、 ほっとしましたが 今日も暖かな一日になりそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 カール本人は 五人兄妹の四番目だったが、 このポランニー兄妹ほどに 優れた一家を知らない、 とする。 そして、 その兄弟のそれぞれが、 あれほどまでに多くのことを 成し遂げた一家も知らない、 と続ける。 ドラッカーは、 全員が名を成し、 大きな足跡を残したが、 彼らの本当のすごさは、 ビクトリア朝時代の父親から、 一九六〇年代のカールとマイケルに至る 五人の兄妹の全員が、 自由でありながらブルジョワ的でも リベラルでもない社会、 繁栄しつつも経済に支配されない社会、 共同体でありながら 共産的ではない社会の実現という、 同一の大義を奉じたところにあった、 とする。 「彼ら全員が別の道を歩いた。  求めたものは同じだった。  それはちょうど、  聖杯を求めて旅立った  円卓の騎士たちを思い起こさせた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■沈黙が永遠に続く■~ハンガリー人は普通の状態じゃない~

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おはようございます。 秋晴れの空が広がる 川崎の朝です。 朝の冷え込みもあまり感じなかったですが、 日中も随分暖かくなりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ポランニーのクリスマス・ディナーは、 生涯最低の食事だった、 とした。 しかしその貧しい食事に 関心を示した者も、 ドラッカーに 関心を示した者もいなかった、 と続ける。 8歳の子供を含め、 四人が翌月のやりくりについて話を始めたが、 彼らが問題にしていた額は、 ハンブルクで商社見習いになっていた ドラッカー一人の生活費にも 足りないような額だったため、 ドラッカーは黙っていられずに、 先生の小切手が見えてしまったが、 あれだけあればどうということもないと思う、 と口に出した。 すると四人はドラッカーを見つめて 急に押し黙ったが、 その沈黙は永遠に続くように思われた。 そして、ほとんど声を合わせたかのように、 次のとおり言った。 「私たちハンガリー人は普通の状態じゃないんです。  ハンガリーからの難民が溢れ返っています。  食べられない人が大勢います。  カールは稼げます。  ですから、小切手は人にあげて、  私たちの分は何とかするのが、  当たり前のことなんです」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■マーガリンもないジャガイモ■~生涯最低の食事~

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 おはようございます。 今日も青空が広がる川崎の朝です。 紅葉も色づき始め、 絶好の行楽日和になりそうです。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ポランニーの給料は 途方もない高給だった、 とした。 そして、二人は ポランニー家に向かうために 市電に乗り、 終点の労働者街で乗り換え、 工場街を抜け、終点で降りて、 廃車場やごみ処理場の脇を 10分ほど歩いてところにある、 古いアパートに着いた。 下のほうの階は、 板が打ちつけられ無人で、 真っ暗な階段を五階まで上ると ドアが開き、 ポランニー夫人のイローナ、 イローナの母であるハンガリーの男爵夫人、 8歳ぐらいの一人娘に迎えられ、 すぐに夕食になった。 「それは、大袈裟でなく、  私にとって生涯最低の食事だった。  マーガリンもない  ジャガイモだけの食事だった。  それがカール・ポランニーの  クリスマス・ディナーだった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ポランニー家のクリスマス・ディナー■~オーストリアでは途方もない高給~

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 おはようございます。 朝から快晴の川崎です。 さほど冷え込み厳しくはないようですね。 一日好天、人混みを避けてお出かけください。 土曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーはポランニーに、 先ほど挙げたいくつかのテーマについて、 道すがら話を聞きたいので、 会議の後、お宅まで同行させていただけないか、 と聞いてみた。 すると彼は、ただちに承諾し、 自宅でのクリスマス・ディナーに 誘ってくれた、 と続ける。 そこへ、雑誌社の総務の人が現れ、 彼に給料の小切手を渡したが、 トランクで手のふさがっていた彼は、 小切手をドラッカーに持たせてペンを探した。 「そのとき、小切手の数字が  私の目に飛び込んできた。  一九二七年暮れのオーストリアでは、  途方もない高給だった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ポランニー家のクリスマス・ディナー■~オーストリアでは途方もない高給~

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 おはようございます。 薄曇りの川崎の朝です。 朝は冷え込みましたが、 日中は随分と過ごしやすい気候になりそうです。 金曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーはポランニーに、 先ほど挙げたいくつかのテーマについて、 道すがら話を聞きたいので、 会議の後、お宅まで同行させていただけないか、 と聞いてみた。 すると彼は、ただちに承諾し、 自宅でのクリスマス・ディナーに 誘ってくれた、 と続ける。 そこへ、雑誌社の総務の人が現れ、 彼に給料の小切手を渡したが、 トランクで手のふさがっていた彼は、 小切手をドラッカーに持たせてペンを探した。 「そのとき、小切手の数字が  私の目に飛び込んできた。  一九二七年暮れのオーストリアでは、  途方もない高給だった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■世界経済をおかしくする愚策■~ウォール街の株式ブーム~

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 おはようございます。 遅い夜明けの川崎の朝は冷え込んでいます。 空気も随分と乾燥してますね。 大方の予想通り、冬が近づきコロナ感染者数が 全国で拡大している。 第三波の到来、 未知との戦いであるが、 この半年余りに最低限やるべきことは 学んできた。 やれることをやるしかないですね。 木曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 副編集長カール・ポランニーは、 新年号の巻頭論文に 四本を提案したが、 他の編集者たちは、 困ったという顔をしていた。 そして、この提案に対して編集長は、 この夏のオーストリアの 内戦並みの騒動について 書かないわけにはいかんよ、 と言った。 すると編集者の一人がもう5年も前から 警告してきたことだから必要ないと言い、 さらに、イギリス経済だけでなく、 世界経済をおかしくする愚策だと あなた自身が言っていた、 ポンドの切り下げについても書く必要がある、 と言った。 アメリカの株式ブームはどうするか、 ドイツの賠償問題についてはどうするか と続く質問に対して ポランニーは、次のとおり答えた。 「ウォール街の株式ブームなんて  資本家の幻想にすぎない。  ドイツの賠償は、実質的には五年前に片が付いている。  どんな協定を結ぼうが、  ドイツに払う気がなく、  払う力もないことは、当時から明らかだ」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■新年号の巻頭論文■~本や、雑誌や、パンフレットが溢れ出た。~

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 おはようございます。 今季一番の冷え込みの川崎の朝です。 今日は11月11日ダブルイレブン、 中国では独身の日で、 寂しい自分に何か買ってあげようとの 『独身者の悲哀』に仕掛けたアリババ。 4兆円規模にはやはり驚かされる。 休肝日明けの水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 小さなトランクを 二つ持って遅れてやってきた 副編集長カール・ポランニーは、 一言「メリークリスマス」と叫ぶや、 椅子がつぶれるような勢いで腰を下ろした。 カール・ポランニーは、 新年号の巻頭論文は、 一本目は張作霖、蒋介石、 その他中国の軍閥間の内戦について、 二本目が世界市場での農産物価格の下落について、 三本目がスターリンについて、 四本目はこれまでの経済学を逆さにしたような理論を 発表し始めたケインズという イギリスの経済学者について、 この四本でどうだろうと提案した。 「ここで彼は、もう一つのトランクを開けた。  同じように、本や、雑誌や、パンフレットが溢れ出た。  他の編集者たちは、  感心したというよりは困ったという顔をしていた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■チャンフォリン、シャンカイシェー■~お経のように唱えていた~

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 おはようございます。 夜明け間際の川崎の朝、 日毎に朝が冷え込みます。 日中も20度を下回る気温、 時折コートが欲しくなるような気候です。 火曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 副編集長のカール・ポランニーが 遅れていたために編集会議は 始まらなかったが、 遠くからかすかに歌うような声が聞こえ、 それがだんだん大きくなった、 とした。 その声は、 わけのわからない言葉を お経のように唱え、それは、 「フェンユイシャン(馮玉祥)、チャンフォリン(張作霖)、 シャンカイシェー(蒋介石)、マオツェタン(毛沢東)」 と聞こえた。 そして、 小さなトランクを二つ持った巨漢が 部屋に飛び込んできて、 一言「メリークリスマス」と叫ぶや、 椅子がつぶれるような勢いで腰を下ろした、 とする。 「そして再び、  「チャンフォリン、シャンカイシェー」と続けた。  持ってきたトランクの一つを開けると、  本や、雑誌や、書類や、手紙が溢れ出た。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■カール・ポランニーを待っている■~歌うような声~

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 おはようございます。 快晴川崎の朝、 冷え込みが増してきましたね。 日中も肌寒い一日になりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 自らが書いた論文が、 自分の読んでいた雑誌の 編集者に認められたことは、 生涯最高のクリスマス・プレゼントだった、 とした。 そして、その編集会議は、 クリスマス当日の朝8時の 時間厳守とあったので その時間に行った、 と続ける。 白いひげの耳の遠い 創刊者兼編集長も定刻に来ていたが、 いつになっても会議は始まらず、 すでに9時近くになっていたので、 そっと聞いたところ、 「副編集長のカール・ポランニーを待っている」 とのことだった。 「口ぶりから察するに、  珍しいことではなさそうだった。  それから四〇分ほどしたとき、  全員の顔が一瞬なごんだことに気付いた。  遠くからかすかに歌うような声が聞こえ、  その声がだんだん大きくなった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■生涯最高のクリスマス・プレゼント■~初めて活字になった論文~

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 おはようございます。 雲が空を覆う肌寒い川崎の朝です。 これから陽射しが増して行楽日和になりそうです。 アメリカ大統領選はバイデンが過半数を獲得したが トランプがごねている。 この状況をドラッカーは天国で、 be highly ridiculousって嘆いてるんだろうね。 昨日は嬉しくもたまたま出先の近くにあった アーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館) で名画の数々を触れることができた。 音楽、演劇もそうだが絵画もやはり 一流の本物を見ることが一番ですね。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 『ザ・オーストリアン・エコノミスト』 新年特別号の編集会議への招待状には、 編集長のサイン入りで、 ドラッカーの書いた論文を称賛した文書が したためられていた。 ドラッカーは、 それは「パナマ運河とその世界経済における役割」 と題する論文で、 一年ほど前に大学入試論文として書き、 数週間前ドイツの経済季刊誌に 掲載されたものだった、 と続ける。 そのほとんどがグラフと 表ばかりのものだったが、 ドラッカーとしては初めて活字になった論文だった。 「それが私の読んでいた雑誌の  編集者に認められたのだった。  私にとっては、  生涯最高のクリスマス・プレゼントだった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■編集会議への招待状■~飛び抜けた光栄~

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 おはようございます。 夜明け間際の川崎の朝、 薄曇りですね。 今日は立冬、 一歩一歩秋から冬に移り変わってますね。 午後には雨の降る所もありそうです、 ご注意を。 土曜日、今日も健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 18歳になったばかりのドラッカーが 初めての休暇を取って ウィーンに帰ったときに待ち受けていたのは、 経済週刊誌『ザ・オーストリアン・エコノミスト』 新年特別号の編集会議への招待状だった、 とした。 そして、当初はイギリスの 『ザ・エコノミスト』をモデルにしていたが、 やがて国際問題と科学技術を扱うようになり、 ヨーロッパ有数の総合雑誌になっていた、 と続ける。 その編集会議を傍聴できることは、 たとえこの招待が私よりも 父を意識したものであったにせよ、 飛び抜けた光栄であり、 さらにうれしかったことに、 その招待状には、 編集長のサイン入りで、 次のとおりしたためられていた。 「貴殿のパナマ運河についての論文を読みました。  大変優れたものと存じます」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ポランニー一家と「社会の時代」の終焉■~

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 おはようございます。 雲が空を覆う肌寒い川崎の朝です。 アメリカ大統領選挙、 予想通りの混乱を見せている。 我々の世代が若いころ、 アメリカはベンチマークであり 憧れの国であったが、 この、目を伏せたくなるような光景、 どの様な決着となるのかな。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 今日から「6章 ポランニー一家と「社会の時代」の終焉」。 この章で、ドラッカーの処女作となる 『「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか』 の刊行経緯が語られている。   18歳になったばかりのドラッカーは、 ハンブルクの商社で4か月働いた後、 1927年のクリスマスに 初めての休暇を取ってウィーンに帰った。 そしてそこに待ち受けていたのは、 経済週刊誌『ザ・オーストリアン・エコノミスト』 新年特別号の編集会議 への招待状だった、 と続ける。 「私は10代のかなり早い頃から  この雑誌を読んでいた。  経済官僚の父は、1907年の創刊以来  ずっと同誌を支援し、  相談に乗り、寄稿していた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 6章 ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ドイツ軍が堂々と行進してきた日■~二人は静かに心中した。~

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 おはようございます。 夜明け間もない川崎の朝、 青空が広がっています。 アメリカ大統領選は、 予想通りの混乱、 泥沼状態に突入しようとしてる。 我々の感覚ではどうも理解できないが、 どうなるのだろう。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 両親をナチスから逃すために、 住居を売り払い、 すぐにでもアパートに移るように手配した、 と伯爵に話した。 それに、どこからでも出国できるよう、 周りのスイス、チェコ、ハンガリー、 ユーゴの二年間有効のビザを取らせた、 と続ける。 伯爵はそれを聞き、 それ以上のことはできないだろう、 と喜んだが、ドラッカーが伯爵に、 ナチスが来たら、 どうするつもりなんですか、 どこへ行かれますかと聞いたところ、 伯爵は、どこにも行かない、 僕たちには子供もいないことだし、 と答えた。 そして、一年もしないうちに ナチスが本当にやって来たが、 彼らの持っていたリストが古く、 突撃隊を一年前に売った家に 派遣してくれたおかげで両親は助かったが、 彼らがリストの間違いに気付いた頃には、 一年前に取ったビザを手に チューリッヒ行きの汽車に乗っていた。 「トラウン伯爵とマリア・ミュラーも  ナチスの手を逃れた。  ドイツがオーストリアを併合し、  ドイツ軍が堂々とウィーンに行進してきた日、  二人は静かに心中した。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 5章トラウン伯爵と舞台女優マリア・ミュラーの物語)

■ナチスのブラックリスト■~いつでも逃げられるように~

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 おはようございます。 秋晴れの青空が広がる、 川崎の朝です。 アメリカ大統領選の開票作業が まもなく始まる。 予測不能の状況の中どちら に軍配が上がるかのか注目。 休肝日明けの水曜日、 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ トラウン伯爵は、 ドラッカーの父はフリーメーソンの オーストリアの団長なんだ、 とドラッカーに話した。 ドラッカーはこのことを知っていたが、 父親はフリーメーソンの秘密を守っていたので、 父から聞いたわけではなかった、 と続けた。 伯爵は、ドラッカーがフリーメーソンを どう思っているかは知らないし、 私自身は会員ではないが、 父親の名前がナチスの ブラックリストに載っていることは 間違いないので、もう何年も、 いつでも逃げられるようにしておくように言ってきたが、 聞き入れてくれないんだ、 とした。 その年の秋、 ドラッカーの弟がアメリカへ行ったので、 家が二人には大きくなりすぎており、 クリスマスに帰ってきた後で売りに出して、 ちょうどよい値で売れたところだ、 と答えて伯爵を安心させてやることができた。 「そのお金もすぐにチューリッヒの銀行に送金しました。  ニューヨークでの私の落ち着き先が決まり次第、  ナチスの手の届かないよう、  私の名義でニューヨークに移す予定です。  両親はすぐにでもアパートに移ります」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 5章トラウン伯爵と舞台女優マリア・ミュラーの物語)

■フリーメーソンの団長■~ヒトラーの侵攻~

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 おはようございます。 未明の川崎の朝、 文化の日の今日、 日中は日も差しそうですね。 アメリカ大統領選はいよいよ今日投票が始まる。 最終的に決まるまでには時間がかかりそうだが、 世情混乱の中、米国民はどちらにかじ取りを委ねるのか。 火曜日、良い休日をお楽しみください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 伯爵がもう一度私に話しかけてきたのは、 彼ら二人に会った最後の日のことだった、 とした。 それは、1937年の二月の終わりか 三月の初めの頃、初めて二人の住まいを 訪ねたときだった、 と続ける。 ドラッカー夫婦は、 イギリスからアメリカへ渡る途中に ウィーンに両親を訪ねた際に、 伯爵と伯爵夫人になっていた マリア・ミュラーに別れを告げるために、 二人を訪ねた。 その際、伯爵は折入ってという感じで、 もういつヒトラーがやって来てもおかしくないので、 ドラッカーの両親のことが心配なんだ、 と話し始めた。 「お父さんはそのようなことは  ないと思っていらっしゃる。  万一ヒトラーが来ても、  大丈夫だと思っておられるようだ。  君も私も、そうはいかないことを知っている。  お父さんが君に言ったかどうかは知らないが、  実は、お父さんはフリーメーソンの  オーストリアの団長なんだ」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 5章トラウン伯爵と舞台女優マリア・ミュラーの物語)

■トラウン伯爵とその激情■~二人に会った最後の日~

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 おはようございます。 未明の川崎、雲が多そうの朝、 これから下り坂、午後には雨のありそうですね。 傘は持った方がよさそうですよ。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 自分自身は、 トラウン伯爵とその激情から 我を取り戻すのに数日を要したが、 二人の間にはその後何事もなかった、 とする。 そして、あの数時間のことを 思い出させることは、 何も起こることはなく、 伯爵とマリア・ミュラーは、 クリスマスと元日には必ず来てくれた、 と続ける。 その時にも相変わらず伯爵は、 部屋の隅からマリアを 愛情のこもったまなざしで見守り、 口数は少なく、挨拶止まりだった。 「しかし、彼はもう一度私に話しかけてきた。  私が、彼ら二人に会った最後の日のことだった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 5章トラウン伯爵と舞台女優マリア・ミュラーの物語)

■支配階層の大量の死■~自ら責任を負う層~

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 おはようございます。 雲が空を覆う川崎の朝です。 これから明日にかけて下り坂、 日照が減ればその分寒くなります。 体調にお気を付けください。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ヨーロッパの他の国々では、 ビクトリア朝時代のイギリスに比べ、 はるかに階級意識が強かった、 とした。 そして、 公爵の息子と銀行家が共に会員であるという パルメル街のクラブのごときは、 1890年代のパリ、ベルリン、ウィーン、 ペテルブルグでは想像もできないもので、 その二人が、週末のパーティで一緒になり、 同一の女性と昵懇である などということも考えられないことだった、 と続ける。 ドラッカーは、 この支配階層が大量に死に、 あるいは傷を負ったとき、 支配階層が一つしかなかったということが、 イギリスの致命傷となったが、 フランスでは、 知的な訓練を受けた グランゼコールの卒業生たる テクノクラートがリーダー層の地位に 入り込んできた、 とする。 「ドイツでは企業の役員、  労組の役員が正統なリーダー層として  新たに登場した。  ところがイギリスでは、  第一次大戦が破壊した層に代わるべき層、  その支配権を認めうる層、  自ら責任を負う層は現れなかった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 5章トラウン伯爵と舞台女優マリア・ミュラーの物語)