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3月, 2021の投稿を表示しています

■光栄だがその気はない■~ドラッカーの連絡先~

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 おはようございます。 まだ薄い雲がかかる川崎の空、 東からだんだん明るくなってきました。 三月も今日で終わり、 明日からは新たな動きが増える4月、 見計らったようにコロナ感染数が 急増モードに突入した。 感染防止策と言われることはやっている、 にもかかわらずこの状況は、 防止策が不徹底か、 不足かのいずれかだろう。 アンダーコントロールと 馬鹿なことを言った男がいたが、 政府の失策としか言えない。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘンシュは、 新聞社にはドラッカーが必要なので、 ぜひ退職しないようにと頼んだ。 ドラッカーは、それに対して、 光栄だがその気はないと答えたところ、 ヘンシュは、 でも気が変わったら教えてくれと言い、 帰りかけたが、 座り直して五分ほど黙り込んだ。 そして、再び話し始め、 婚約者エリーゼに教えたいので、 ドラッカーの連絡先を教えてほしいと、 次のとおり頼んだ。 「エリーゼには、  大急ぎでドイツを出るよう言ってある。  でも、外国に知り合いが一人もいないんだ。  彼女に教えてやりたいので、  君の連絡先を教えてもらえないものだろうか」   (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■退職の翻意を頼みに来た■~社主と編集長をクビに~

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 おはようございます。 薄曇りの空がだんだん明るくなってきた、 川崎の朝です。 今日もぽかぽか暖かな一日になりそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘンシュは、 共産党とナチスの 両方の党員証を持っていたことを指摘されると、 取材するためには必要だ、 との説明をした。 そして、 午後はナチスの幹部会に出て、 そこで大学のコミッサール付きの報道顧問と、 アンツァイガーの党代表に任命された、 と続けた。 さらに、 責任者になったことを知らせるために、 ヘンシュ自身が編集会議を招集し、 そこでドラッカーが退職したことを知り、 考え直すことを頼みに急いで来たんだ、 とした。 ヘンシュは、 ユダヤ人である社主を既に追放し、 左翼で細君も社民党の議員の妹である ユダヤ人の編集長もすぐクビにするので、 ドラッカーを必要としているとし、 次のとおり続けた。 「僕自身が新聞の編集を  やっているわけにはいかないからね。  実は、フランクフルトの  全マスコミの面倒をみなければならないんだ」   (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■目立ったことは二つだけ■~共産党とナチスの党員証~

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 おはようございます。 明るい日差しの川崎の朝です。 昨日からの雨もやみ、 好天の一日、初夏の陽気になりそうです。 気を付けなければいけないことは、 黄砂、大量に飛んできているようです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ヘンシュは、 とくに親しい友人というわけではなく、 中肉中背で、 父親は石工職人だった、 とした。 そして、彼については、 目立ったことは二つしかなく、 第一に、エリーゼ・ゴールドシュタイン という可愛いらしい恋人が いたことだと続ける。 彼女は新聞社出入りのデザイナーで、 すでに同棲しており、 近々結婚するはずだったが、 一年ほど前の婚約パーティには、 記者の全員がよばれていた。 ドラッカーは、は、 目立ったことの二つ目は、 彼が共産党とナチスの 両方の党員証を持っていたことで、 記者として感心したことではなかった。 「それを指摘されると、  『奴らからも取材しなければならないんでね。   奴らは仲間内にしか本当のところは話をしないんだ』  と答えていた。」   (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■新聞社の同僚ヘンシュ■~父親は石工職人~

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おはようございます。 雲が重く空を覆う川崎の朝です。 これからだんだん雨雲が北上、 一日雨の様です。 部屋でひっそりとしてましょう。 日曜日、良い休日をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 疲れ果てていたため、 とにかく寝ることにしたが、 新聞社の同僚ヘンシュが、 突然訪ねてきた、 とした。 そしてヘンシュは、 とくに親しい友人というわけではなく、 編集者でもなく、 地元の市役所担当だった、 と続ける。 ドラッカーは、 フランクフルトに骨を埋める気のない ほとんどの記者にとっては、 市役所は、取材対象として面白い所ではなく、 記者として優れているわけでもなかった、 とする。 「書く記事には偏りがあるようだった。  中肉中背で、30前の割には  髪に白いものが交じっていた。  父親は職人で、たしか石工だった。」   (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■ナチス幹部ヘンシュの訪問■~退社届を出し別れを告げた。~

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 おはようございます。 今日も青空が広がる川崎の朝です。 緊急事態宣言解除後初めての週末、 折しもいよいよ桜も満開、 聖火リレーがスタート、 ぽかぽか陽気の一日です。 意識していない人に緩むなって言っても、 難しいんだろうね。 リバウンドしようがどうしようが。 土曜日、よい週末をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 拡大教授会が終わった後、 勤め先の新聞社に行き退社届を出し、 同僚たちに別れを告げた、 とした。 その後大急ぎで自宅に戻り、 シュタール論の校正を始め、 終わったときには 夜の10時になり、 疲れ果てていたため、 翌日ウィーン行きの 汽車に乗るための荷づくりは 翌朝することにして、 とにかく寝ることにした、 と続ける。 そのとき、 客の来訪を知らせる呼び鈴が鳴り、 外を見ると、 ナチスの突撃隊の制服を着た男がおり、 心臓が止まるかと思った、 とする。 「だが、すぐに新聞社の同僚の  ヘンシュであることに気付いた。  午後会社に行ったときは不在だった。  彼は、『退社したんだって。今、通りがかりなんだが、  お別れを言いたくてね。入ってもいいかい』  と言った。」   (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■肩を並べて退出する勇気■~退社届を出し別れを告げた。~

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 おはようございます。 気持ちのいい青空が広がる川崎の朝です。 日中は5月並みの暖かさ、 桜も満開を促され、 明日は桜並木は賑わいそうですね。 気を付けましょう。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 例の生化学者が、 研究費について質問したことに対して、 コミッサールは「人種的に純粋な科学」には、 十分な額の研究費が保証されるであろう旨の 解答を行った、 とした。 そして、非ユダヤ人教授の数人は、 ユダヤ人教授と 肩を並べて退出する勇気を持っていたが、 多くの者は、つい先刻までの 親友とも距離を置いて退出していった、 と続ける。 ドラッカーは気持ちが悪くなり、 自分が少なくとも四八時間以内に ドイツを出国するに違いないと思い、 ひとまずアパートに帰ったところ、 ありがたいことにシュタール論の 校正刷りが届いていた、 とする。 「そこで私は、すく勤め先の新聞社に行った。  その日は、拡大教授会に出るために  欠勤届を出してあった。  今度は退社届を出し、  同僚たちに別れを告げた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■人種的に純粋な科学■~言うことを聞けなければ収容所~

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 おはようございます。 薄曇りの川崎の朝です。 今日は暖かな一日ですが、 所によりにわか雨の可能性もあるとのこと、 お気を付けください。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ナチス・コミッサールは、 大学どころか兵舎でさえ耳にすることのない 糞ったれ、馬鹿野郎、くたばれなど、 集められた学識ある者のただ一人として 面と向かって投げかけられたことのない 罵詈雑言と卑猥語を連発した、 とした。 そして彼は、 学部長の一人ひとりを指差し、 「手前ら、言うことを聞けなければ収容所だ」 と言い放った、 と続ける。 全会場が静まり返り、 例の生化学者が 何かを言ってくれるのを待ったが、 ついに、彼が立ち上がり、 咳払いをして、 「コミッサール、大変興味深く、大変よくわかりました。 しかし、一つだけよくわからないことがあります。 生化学の研究費はこれからどうなりましょうか」 と言った。 「これに対し、  「人種的に純粋な科学」には、  十分な額の研究費が保証されるであろう旨の  コミッサールの解答があって、  拡大教授会は閉会となった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■罵詈雑言と卑猥語の連発■~新任のナチス・コミッサール~

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 おはようございます。 まだ薄曇りの川崎の空模様ですが、 段々晴れて春本番の暖かな一日になりそうです。 今日はコートなしでもいけそうです。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 いよいよフランクフルト大学に ナチス・コミッサールが着任して、 全教官が拡大教授会に招集されたとき、 あらゆる者が試練のときが来たことを 知ったのだった、 とした。 そしてドラッカーは、 それまで拡大教授会などに出たことは 一度もなかったが、 そのときばかりは出席した、 と続ける。 新任のナチス・コミッサールは、 一切の社交辞令抜きで話し始めたが、 手始めに、全ユダヤ人の学内立入りを禁止し、 3月15日付けをもって 給与の支払いなしの解雇を発表した。 ドラッカーは、それはナチスの 反ユダヤ主義の言質にもかかわらず、 誰もが取りえないとしていた類の 措置の一つだった、 とする。 「続いてこのコミッサールなる者は、  大学どころか兵舎でさえ耳にすることのない  罵詈雑言と卑猥語を連発した。  糞ったれ、馬鹿野郎、くたばれなど、  集められた学識ある者のただ一人として  面と向かって投げかけられたことのない  言葉の数々だった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■ノーベル賞クラスの業績とリベラル思想■~試練のときが来たこと~

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 おはようございます。 今朝は晴れ、 まだ薄雲が掛かっていますが、 明るい青空が広がり始め、 日中は快晴で暖かな一日になりそうです。 昨日は緊急事態宣言が解除された初日、 周りを見ると緊張感が続いているわけでもなく、 取れたわけでもなく、何も変わってない。 結局この緊急事態宣言自体が、 内容、発出・解除タイミングを含め 国の失策だったんだと思う。 やれやれ、で済む問題じゃない。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ナチスが最初に標的にした フランクフルト大学は、 ドイツで最もリベラルな大学であって、 学問と、良識と、民主主義への献身を誇りとする 最強の教授団を擁する大学だった、 とした。 そしてナチスは、 フランクフルト大学を制するならば、 全大学を制しうることを知っており、 そのことを教授団の側も知っていた、 と続ける。 ドラッカーは、 フランクフルト大学ではとくに 自然科学系の諸学部が、 その学識とリベラリズムで 名を馳せていたが、 なかでもある生化学者が、 ノーベル賞クラスの業績と、 そのリベラルな思想により 群を抜いて敬意を払われていた、 とする。 「こうしてその年の二月二五日、  いよいよフランクフルト大学に  ナチス・コミッサールが着任して、  無給の助手を含む全教官が  拡大教授会に招集されたとき、  あらゆる者が試練のときが来たことを  知ったのだった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■避けられないことを延ばす癖■~学問、良識、民主主義への献身~

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 おはようございます。 雲は多い空ですが、 明るい川崎の朝です。 風が強いため、体感的には寒く感じますが 気温はさほど低くはないようです。 夜には雨の可能性もありますので、 遅くなる人は雨具の準備を。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 あのような論文を 書いてしまったからには、 遅かれ早かれ、 国外追放か収容所行きに決まっているので、 追い出される前に出ていこうと決心した、 とした。 ところがドラッカーは、 自分がドイツを出てしまえば、 出版社があの危険な小冊子の発行を 止めてしまうかもしれない、 という理由もあったことで、 例のごとくぐずぐずしていた、 と続ける。 しかし、ドラッカーは 単に避けられないことを 先に延ばすという悪い癖が 出ていただけのことでも あったかもしれないが、 ついにドイツを出ることにしたのは、 最初の、ナチス主導の フランクフルト大学拡大教授会のせいだった、 とする。 「ナチスが最初に標的にした大学が  フランクフルト大学だったことには理由があった。  フランクフルト大学こそ、  ドイツで最もリベラルな大学であって、  学問と、良識と、民主主義への献身を誇りとする  最強の教授団を擁する大学だった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■目論見の間違い■~国外追放か収容所行き~

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 おはようございます。 朝からしっかりと雨が降る川崎です。 昨晩また東北地方で強い地震が発生、 川崎でも大きくはなかったけど、 長く揺れました。 いつか必ず来るといわれる首都圏大震災、 昨晩も心の隅では、ひょっとして、 との思いがありましたね。 いずれにせよ、気を付けておきましょう。 コロナ禍での避難生活風景は、 想像するだけでぞっとしますね。 日曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ナチスが社民党の伸長に驚いた右翼と 軍部の後押しによって政権を握ったとき、 すでにドイツを離れる準備ができていた、 とした。 このとき右翼と軍部は、 下層民から成るナチスを見くびり、 政権を持たせても 自在に操るつもりだったが、 ドラッカーはそのような目論見の間違いに 気づいていた、 と続ける。 しかし、ドラッカーでさえ、 ナチスが、自分たちを政権につけてくれた ユンカーや旧ブロシアの軍人たちを、 あれほどまでに早く一掃してしまうとは 思いもよらなかった、 とする。 ドラッカーは、 ナチスについては希望的な観測は 一切しないことにし、 持っているバスボートも、 長くは身を守ってくれない、 と考えていた。 「あのような論文を書いてしまったからには、  遅かれ早かれ、  国外追放か収容所行きに決まっている。  ということならば、  追い出される前に出ていこうと決心した。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■著書は焚書処分となる■~ドラッカーの思想的な立場~

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 おはようございます。 雲が多い川崎の空模様です。 これから下り坂、 明日は強い雨が降りそうです。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 シュタールの政治思想を 主題とする本を数週間で書き上げ、 政治学と政治史の名門出版社、 チュービンゲンのモーア社に送った、 とした。 そして、 やがてこの小冊子は、 ナチスによって、 ドラッカーの希望した通りに 正しく理解され、 発行されるやただちに禁書とされ、 焚書処分にされた、 と続ける。 ドラッカーは、 その小冊子が世の中に 何か大きな影響を 与えるという期待は もともとなかったが、 それは、ドラッカーの思想的な立場を 疑う余地なく明らかにした、 とする。   「こうして私は、  選挙の度に議席を減らしていたナチスが、  一九三三年一月三一日、  社民党の伸長に驚いた右翼と  軍部の後押しによって政権を握ったとき、  すでにドイツを離れる準備ができていた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■正統保守主義の視点■~血筋はユダヤ人~

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 おはようございます。 今朝は雲が多い川崎の空模様です。 日毎に冷え込みは緩んできましたね。 昨日はポカポカ陽気、 今日はいくらか気温が下がりますが、 暖かな一日になりそうです。 しかしこのところ朝方のくしゃみが酷い、 花粉症は老化と共に収まるんじゃないのかな、 って思ってるんだけどね。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ナチスとかかわりを持てなくするために、 ヘーゲルの批判者である シュタールの政治思想を 主題とする本を書き始めた、 とした。 そして、そのシュタールは、 キリスト教徒ではあったが 血筋はユダヤ人であり、 シュタールを正統保守主義の視点から論ずる論文は、 ナチズムへの正面からの 反抗以外の何ものでもなかったのである、 と続ける。 ドラッカーはこれを数週間で書き上げ、 それを政治学と政治史の名門出版社、 チュービンゲンのモーア社に送った。 「ありがたいことに同社は、  同社の有名な法律行政叢書の  第100号記念号として、  一九三三年四月に  発行してくれることになった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■シュタールの政治思想■~ナチスとのかかわりを断つ~

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 おはようございます。 青空が広がる川崎の空、 今朝も晴れてます。 日中もポカポカ陽気、 コートは不要でしょうね。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ヒトラーの臣民になる気は 毛頭なかったので、 自分がいつまでもドイツに 留まることができないように することにした、 とした。 そしてナチスのほうが、 ドラッカーとかかわりを 持つことができなくなる 本を書き始めた、 と続ける。 もちろん、 ドラッカーのほうが ナチスとかかわりを 持てなくするための本でもあり、 それは本というよりは、 小冊子に近かったが、 それは、ドイツが生んだ 唯一の正統保守主義の政治哲学者 フリードリッヒ・ユリウス・シュタールの 評伝だった。 「法治国家における自由を追求する  ビスマルク前のプロシアの政治哲学者、  ベルリン大学におけるヘーゲルの後任にして  ヘーゲルの批判者たるシュタールの政治思想を  主題とするものだった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■ナチスへの挑戦状■~ヒトラーの臣民~

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 おはようございます。 明るい日が射す川崎の朝です。 今日は春の彼岸の入り、 しっかりと春の温かさを感じる一日となりそうです。 この陽気と共に、花粉と黄砂が舞い踊ります。 注意して下さい。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ケルンの有力紙からの、 編集責任者へのオファーを受けて ケルンに移れば、 ケルン大学か近くのポン大学で講師になることは 難しくなかった、 とした。 しかし、実はドラッカーは、 ドイツそのものから離れる準備も始めていたので、 ケルンからのオファーは保留し、 さらに国際法の老教授からの、 フランクフルト大学の講師を受けるように との話にも返事を待ってもらっていた、 と続ける。 そして、 この講師は公式には助手であり、 助手として国際法のゼミを仕切り、 教授の代講をしていたが、 講師ともなると、 大学から公式の辞令が出、 自動的にドイツ市民に なることになっていた、 とする。 「私には、ヒトラーの臣民になる気は  毛頭なかった。  そこで私は、  自分がいつまでもドイツに  留まることができないようにすることにした。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■満足しきれなくなった■~ケルン大学かポン大学の講師~

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 おはようございます。 未明の川崎、 雲はいくらか出てますが、 青空はうっすらとピンクに染まり始めています。 今朝も冷え込みは緩みました。 日中はさらに気温上昇、 5月並みの気温になりそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 新聞社で働き、 大学で国際法と国際関係を教え、 雑誌に原稿を書き、 次の職探しまで始めていた、 とした。 そしてそれは、 「フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー」 での仕事では満足しきれなくなっていたためだった、 続ける。 すると、すぐにドイツでも権威あるケルンの有力紙から、 国際関係の政治、経済、文化、文学すべてを担当する 編集責任者ということでどうかとのオファーを受けた。 「そのボストを受けてケルンに移れば、  ケルン大学か近くのポン大学で  講師になることは難しくなかった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■期待できないことを期待していた■~次の職探しまで始めていた~

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 おはようございます。 青空が広がる川崎の朝です。 夜明の頃にすでに9度、 暖かでした。 日中は風も収まり4月並みの暖かさになりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ヒトラーが政権を取ったら ドイツを離れるであろうことを意識し、 かつ必ずその日が来ることを確信しつつも、 これらの仕事を辞めなかった、 とする。 つまり、 期待できないことを 期待していたのであり、 つまるところ、 一九三二年の当時、 ナチスはすでに頂点にあり、 後は凋落の一途と見ても、 必ずしも希望的観測とは いえなかったのである、 と続ける。 ドラッカーは、 事実ナチスは、 選挙の度に議席を減らして いっていた、とする。 「というわけで私は、  新聞社で働き、  大学で国際法と国際関係を教え、  雑誌に原稿を書いていた。  それどころか私は、  次の職探しまで始めていた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■前提は自明、数理は完璧、結論は間違い■~手元に残っていないのが救い~

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 おはようございます。 久しぶりに明るい光が射す川崎の朝です。 桜も開花が始めり、 思わず花見に繰り出したくなるような 春の好天になりそうです。 慎重に慎重に、ご注意ください。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 まだ21という若さではあったが、 ドイツの学界への最初の大きな一歩として 講師への就任を打診されていた, とした。 そしてドラッカーは、 新聞以外にも執筆しており、 それはまだ証券会社にいた1929年に、 あきれるほどに学術的な 経済論文二本を権威ある 季刊経済誌に発表したと続ける。 一本は商品市場、 一本はニューヨーク証券市場についての、 いずれも大間違いの論文で、 前提は自明、数理は完璧でありながら、 結論は間違いという、 計量経済学の歴史でも 稀なほうに属する論文だった、 とする。 「博士論文も冊子として出版していた。  私にとっては、  いずれも手元に残っていないのが  救いという代物だった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■大学での代講■~学界への最初の大きな一歩~

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 おはようございます。 分厚い雲が空を覆う川崎の空です。 今日の日中は強い雨の予報も出ています。 ご注意ください。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 「フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー」 で金融記者となり、婦人面と国際面の編集も担当した とした。 しかもドラッカーは、 この新聞社での仕事に加えて、 ハンブルクではハンブルク大学の法学部に在籍し、 フランクフルトではフランクフルト大学の法学部に 在籍するというもう一つの生活を持っていた、 と続ける。 こうして国際法で博士号を取ったのが 1931年であり、しかも、 国際法のゼミでは助手として 病気がちの老教授の代講をしていた、 とする。 「まだ21という若さではあったが、  ドイツの学界への最初の大きな一歩として  講師への就任を打診されていた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■証券アナリストから金融記者■~婦人面と国際面~

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 おはようございます。 今朝も雲が多い川崎の空です。 これから段々雲が増え、午後には雨。 雨具をお忘れなく。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 一九二七年の秋に ハンブルクの輸出商社に勤め、 その後フランクフルトに移り、 アメリカ系の証券会社で 証券アナリストになった。 しかし、その仕事は、 その年のニューヨーク証券取引所の 崩壊によって失われたため、 ドラッカーは、 フランクフルト最大の発行部数を誇る夕刊紙 「フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー」 に就職し、金融記者となった、 と続ける。 同誌は、編集方針も発行部数も、 ワシントンの「スター」や デトロイトの「フリー・ブレス」に似た新聞で、 ドラッカーはそこでかなり早く昇進し、 二年後には国際面を担当する 記者兼編集者兼論説委員になった。 「編集部は、少数精鋭を目指して、  14,5人の記者と数人の編集者で、  日曜を除く毎日、  48ベージないし64ページの紙面をつくっていた。  私は、論説を週に3,4本書き、  婦人面の編集者が病気で休んでいた一年間は、  国際面に加え同面の編集も担当した。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■やがてナチスが政権を取る■~アメリカ系の証券アナリスト~

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 おはようございます。 今朝も雲が多い川崎の空です。 今日は3月11日、東日本大震災から10年。 関連死含む死者行方不明22000人、 未だに避難生活を送っている方々が4万人、 あらためて、 この事実を心に刻みつける一日にしたい。 犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 子供の頃からの友人ベアトルトに対して、 ナチスが政権を取った後のドイツに 自分が住むことはない、 と話した。 しかしそれまで、 そのようなことを考えたことはなかったが、 そう言った自分の言葉を自分で聞いてみて、 自分自身がすでに心を決めていることを知った。 と続ける。 同時にドラッカーは、 やがてナチスが政権を取ることを、 頭の中ではともかくとして、 心の奥底では確信していることを 知ったのだった、 とする。 「私がドイツへ来たのは  一九二七年の秋だった。  ハンブルクに住み輸出商社に勤めた。  一年三か月してフランクフルトに移り、  アメリカ系の証券会社で証券アナリストになった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■ドイツ最後の夜■~僕がいることはないよ~

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 おはようございます。 今朝も雲が多い川崎の空です。 東京地方の日の出が5時台に突入、 連れて気温も上昇、 日中は20度近くになりそうです。 寒暖差にお気を付けください。 休肝日明けの水曜日、 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ヒトラーのドイツが崩壊したとき、 「ニューヨーク・タイムズ」の 小さな記事が目を引いた、 とした。 そして、 ヘンシュの名にお目にかかったのは、 1933年のはじめ、 ドラッカーがドイツを去って 以来のことだった、 と続ける。 しかし、 ドラッカーは、 彼のことは何度も思い出していたとし、 それは、ドラッカーはドイツ最後の夜を この怪物と過ごしていたからだった、 とする。 1932年の春、 ドラッカーはナチスが政権を取ったら ドイツに居続ける気のないことを自覚したが、 子供の頃からの友人ベアトルトが、 当時住んでいたフランクフルトに訪ねてきて 夜を明かして将来について話し合ったときに、 特に何の意識もなしに彼にこう言った。 「ベアトルト、  はっきりしていることが一つだけあるんだ。  ナチスが政権を取った後のドイツに  僕がいることはないよ」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■殺人部隊の指揮官、怪物ヘンシュ■~残虐、冷血、非道ぶり~

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 おはようございます。 未明の川崎の空は曇り、 今日は昨日の様な雨は 心配なさそうですね。 昨日は寒い一日でしたが、 今日は暖かくなりそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ヒトラーのドイツが崩壊したとき、 「ニューヨーク・タイムズ」の 小さな記事が私の目を引いた、 とする。 それは、ナチス・ドイツの 重要戦犯として手配中の ラインホルト・ヘンシュが、 フランクフルトの廃墟の地下室で アメリカ軍による逮捕時に自殺した、 との記事だったと続ける。 さらに記事は次のように続く。 「ナチス・ドイツの  親衛隊SS副司令官のヘンシュ中将は、  その悪名高い殺人部隊の指揮官として、  ユダヤ人と反ナチス勢力の絶滅、心身障害者の浄化、  レジスタンスの制圧を行なった。  その残虐、冷血、非道ぶりは、  部下からも怪物ヘンシュとして怖れられていた」 (Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)

■真摯さが基盤となる■~中級国をパートナーとする~

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おはようございます。 日の出間もない川崎の朝、 雲が多く薄暗い空です。 一日一日少しずつ夜明が早くなってきました。 昨日は6時3分、今日は6時1分。 季節は少しずつ、 確実に移ろってるんですね。 とはいえ、今日は寒い雨の一日になりそうです。 暖かくしてお過ごし下さい。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 中級国が大国を見捨てることはできるとし、 事実、キッシンジャー時代の 1973年の中東戦争において、 ヨーロッパ諸国はあっさりアメリカを見捨てた、 とした。 そしてその瞬間、 キッシンジャー外交なるものは崩壊し、 後に残ったものは、 他ならぬクレイマー・キッシンジャー路線が、 正しくも嫌い抜いていた その場しのぎの即席外交だけだった、 と続ける。 ドラッカーは、 クレイマー・キッシンジャー路線が 何かを教えたとしたならば、 それは大外相理論なるものの誤り、 あるいは空しさである、 とする。 たしかにアメリカは、 内政の余波以上のものとしての 外交政策を必要とし、 バランス・オブ・パワー戦略も 必要としているが、 それは、中級国を パートナーとして巻き込んだ バランスでなければならず、 軍事力以外の要因を含む パワーでなければならない。 「そして、  たしかにアメリカの外交には  リーダーシップが必要である。  しかしそれは、頭のよさではなく、  真摯さを基盤とするものでなければならない。」 (Ⅰ 失われた世界 7章キッシンジャーをつくった男クレイマー)

■第一級の失態■~大国を見捨てることはできる~

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 おはようございます。 今朝も雲が多い川崎の空です。 昨日は寒さが緩んで暖かな一日になりましたが、 今日は一転冬の寒さに舞い戻ります。 寒暖差にお気を付けください。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 クレイマー・ドクトリンに 一字一句従ったかたちでの、 日本の頭越しの中国承認、 1971年のドル切り下げという 二つの日本無視の政策は、 まったく必然性のない 外交上の大失敗だったと いわなければならない、 とした。 そして、日本がその産業力のゆえに アジア太平洋地域における大国となることは 目に見えていたことで ヨーロッパの同盟国の意図的な無視にしても、 外交における経済的要因の無視にしても、 同じように第一級の失態だった、 と続ける。 ドラッカーは、 確かに中級国には 行き場所はないかもしれないが、 逆に大国を見捨てることはできるのである、 とする。 「そして事実、  キッシンジャーの時代の  最初の外交危機たる1973年の中東戦争において、  ヨーロッパ諸国はあっさり  アメリカを見捨てたのだった。」 (Ⅰ 失われた世界 7章キッシンジャーをつくった男クレイマー)

■中級国は大国を見捨てうる■~二つの日本無視の政策~

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 おはようございます。 雲が空を覆う川崎の朝です。 今日は一日曇り、 寒さも緩みそうですね。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 世界情勢の推移は、 クレイマーとキッシンジャーが示した 力の定義が間違いであり、 さらに有害であることを 明らかにしていった、 とした。 そして、単なる国の大きさと 軍事力の可能性だけで、 中国を大国と定義することの 妥当性はまだわからない、 と続ける。 毛沢東とポスト毛の中国が、 清国を超えるものになるかどうかも まだわからないが、 中級国を大国の定義からはずし、 経済力を無視することに 妥当性のないことは、 すでに明らかである、 とする。 「クレイマー・ドクトリンに  一字一句従ったかたちでの、  日本の頭越しの中国承認、  1971年のドル切り下げという  二つの日本無視の政策は、  まったく必然性のない  外交上の大失敗だったと  いわなければならない。」 (Ⅰ 失われた世界 7章キッシンジャーをつくった男クレイマー)

■ケネディの外交政策■~ブロンクスにはアラブ票がない~

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 おはようございます。 薄っすらとした雲が空を覆う川崎の朝です。 昨日から寒さも緩み、 今朝も冷え込みは穏やかでした。 今日はこの雲が段々と北上、 午後には本格的な雨となりそうです、 雨具をお忘れなく。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 世界中でアメリカほどに、 国境の外にも世界があることを簡単に忘れ、 自らの国力と同盟国への考慮抜きに 国内政策を決定する国はない、 とした。 そして、 「ブロンクスにはアラブ票がない」という理由で、 アラブ圏の真っ只中への イスラエルの建国を支持したのが ハリー・トルーマンだった、 と続ける。 ドラッカーは、 アメリカは外交政策を必要としており、 単なるジェスチャーや 独立記念日の決まり文句で 済ませるわけにはいかないとの キッシンジャーの考えは正しかった、 とする。 「『私はベルリン市民です』  と言いつつベルリンの壁を認めたり、  キューバのビグズ湾侵攻に失敗したり、  従属国の保護者として  ベトナム戦争に深入りしていった  ケネディの外交政策が、  そのようなものだった。」 (Ⅰ 失われた世界 7章キッシンジャーをつくった男クレイマー)

■国境の外にも世界があること■~イスラエル建国を支持~

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 おはようございます。 雲の多い川崎の朝です。 今日は一日曇り空ですが、 風が少ない分体感は暖かそうです。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 キッシンジャーは、 ニクソン政権の国務長官に就任すると、 新兵基礎訓練においてクレイマーから講義された 政治哲学の三箇条をそのまま追求したのだ、 とした。 そして、 まさにこれらの三箇条こそ、 キッシンジャーの外交原則であり、 たしかに当時は、 アメリカの外交政策を 内政への従属から解放してやることが必要で、 その状況は今日でも変わらない、 と続ける。 ドラッカーは、 世界中でアメリカほどに、 国境の外にも世界があることを簡単に忘れ、 自らの国力と同盟国への考慮抜きに 国内政策を決定する国はない、 とする。 「アラブ圏の真っ只中への  イスラエルの建国を支持するという大問題が、  選挙での票集めという超短期の議論によって  正当化される国もない。」 (Ⅰ 失われた世界 7章キッシンジャーをつくった男クレイマー)

■図抜けて優れた人物■~ニクソン政権の国務長官~

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 おはようございます。 快晴の川崎の朝です。 今日は楽しい雛祭り♪ 桃の節句、休肝日明けだし 白酒でもいただこうかな。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 キッシンジャーに クレイマーの影を見ることは、 あるいは馬鹿げたことかもしれない、 とする。 そして、 キッシンジャーは、 一兵卒の身なりで クレイマーの関心を 惹き付けたというからには、 図抜けて優れた人物だったにちがいないとし、 フリッツ・クレイマーには、 馬鹿を相手にしている暇はなかった、 と続ける。 ドラッカーは、 キッシンジャーには、 書き手および話し手としての能力、 その才覚と政治家としての手腕において、 はるかにクレイマーを凌ぐものがあったが、 キッシンジャーの 政治理念の神髄はクレイマーのものである、 とする。 「しかも、キッシンジャーは、  ニクソン政権の国務長官  すなわち外相に就任するや、  1942年の新兵基礎訓練において  フリッツ・クレイマーから講義された  政治哲学の三箇条、外交の優位、  外交における力の優位、  外交における天賦の才の優位を  そのまま追求したのだった。」 (Ⅰ 失われた世界 7章キッシンジャーをつくった男クレイマー)

■真摯さによってリーダーとなる■~勤勉さと献身~

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 おはようございます。 未明の川崎の朝、 日の出は6:11とのこと、 雲が多い様子です。 まだ雨は降り始めてはいませんが、 午後は雨、傘をお忘れなく。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 自ら強力であって かつ後継者が強力であるという 真のリーダーは、 一般に信じられているような カリスマ性なる いかがわしいものとは無縁である、 とした。 そして、彼らは、 勤勉さと献身によってリーダーとなり、 権力を集中させずにチームをつくり、 操作によってでなく、 真摯さによってリーダーとなる、 と続ける。 さらにドラッカーは、 彼らは頭のよさは並かもしれないが、 シンプルであって真摯である、 とする。 「したがってわれわれは、  外相としても、  リシュリュー、メッテルニヒ、  ビスマルクの類の大外相を求めてはならない。  だがフリッツ・クレイマーが発掘し、  弟子としたヘンリー・キッシンジャーの目指したものが、  その種の大外相だった。」 (Ⅰ 失われた世界 7章キッシンジャーをつくった男クレイマー)

■カリスマ性なるいかがわしいもの■~醜いあひるから白島へ~

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 おはようございます。 快晴が続く川崎の朝です。 今日から弥生三月、 あっという間の二月でしたが 引き続き何かと騒々しい月になりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 強力かつ個性的なリーダーたちの多くが、 立派に後継者を残した、 とした。 しかし、これらの人たちは あくまでも例外であり、 強力な部下を持ちえず、 したがって下働きしか 後に残せなかった フランクリン・ルーズベルト大統領のほうが 一般的だった、 と続ける。 そしてドラッカーは、 何の強みもないように見えたからこそ ルーズベルトによって副大統領に選ばれ、 醜いあひるから白島へと育った、 ハリー・トルーマンのような奇跡に 期待してばかりいるわけにはいかない、 とする。 「事務官や下働きしか後継者がいないという状況は、  大人物にまつわる必然ではない。  しかし、自ら強力であって  かつ後継者が強力であるという真のリーダーは、  一般に信じられている大人物とは、  見た目も行動も大きく異なる。  カリスマ性なるいかがわしいものとは無縁である。」 (Ⅰ 失われた世界 7章キッシンジャーをつくった男クレイマー)