■証券アナリストから金融記者■~婦人面と国際面~
おはようございます。
今朝も雲が多い川崎の空です。
これから段々雲が増え、午後には雨。
雨具をお忘れなく。
金曜日、今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
一九二七年の秋に
ハンブルクの輸出商社に勤め、
その後フランクフルトに移り、
アメリカ系の証券会社で
証券アナリストになった。
しかし、その仕事は、
その年のニューヨーク証券取引所の
崩壊によって失われたため、
ドラッカーは、
フランクフルト最大の発行部数を誇る夕刊紙
「フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー」
に就職し、金融記者となった、
と続ける。
同誌は、編集方針も発行部数も、
ワシントンの「スター」や
デトロイトの「フリー・ブレス」に似た新聞で、
ドラッカーはそこでかなり早く昇進し、
二年後には国際面を担当する
記者兼編集者兼論説委員になった。
「編集部は、少数精鋭を目指して、
14,5人の記者と数人の編集者で、
日曜を除く毎日、
48ベージないし64ページの紙面をつくっていた。
私は、論説を週に3,4本書き、
婦人面の編集者が病気で休んでいた一年間は、
国際面に加え同面の編集も担当した。」
(Ⅱヨーロッパ人々 8章 怪物ヘンシュと小羊シェイファーの運命)
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