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10月, 2021の投稿を表示しています

■『フォーチュン』の辣腕記者の一人■~ワトソンの社内禁酒令~

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 おはようございます。 未明の高知、朝陽は見えそうもないですね。 昨日夕方からの曇天、 まもなく雨になりそうです。 寒い雨になりそうですが、 衆議院選挙にはきちっと行きますよ。 日曜日、暖かくしてお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 新人記者は、 ルースのメモを無視して、 ワトソンの個人攻撃に終始し、 ワトソンをアメリカ版ヒトラー、 新総統と形容した、 とした。 そして彼はIBMそのものには一切触れず、 ワトソンの社内での禁酒令を攻撃したが、 それは名文で、 後日『フォーチュン』の辣腕記者の一人となったが、 すでにそれだけの腕は見せていた、 と続ける。 ドラッカーは、 記事をチェックするはずの者はいたが、 他の記事で時間に追われていたために、 読まずに通していた、 とする。 「当然そのまま、  事実確認のためという通常の手続きによって、  校正刷りのものがIBMに送られていた。  つまり、その段階では、  記事の差し替えや全面的な書き直しは、  間に合わないということだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■IBMのワトソンの考え方■~「THINK」の標語~

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 おはようございます。 雲の多い須崎の朝です。 昨日までは気持ちの良い青空が広がってましたが、 今日から明日にかけては下り坂の様ですね。 明日の衆議院選挙は雨模様ですが、 意思表示をきちっとしましょう。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 IBMは、あの大恐慌の時代を タイムレコーダという 地味な製品で乗り越えていた、 とする。 そして、 独自の技術などほとんど 持っていなかったが、 ワトソンの考えた 「THINK」の標語、 ステッカー、ジョーク、 あるいはニューヨーク万博での IBM館によって、 重要な大企業というイメージを つくり上げることに成功していた、 と続ける。 ドラッカーは、 ルースは、 IBMの会社ストーリーに ふさわしいこれらのこと すべてをメモして、 その新人記者に渡していた、 とする。 「ところが彼は、  メモを無視して、  ワトソンの個人攻撃に終始していた。  ワトソンをアメリカ版ヒトラー、  新総統と形容した。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■人を哉にしない■~アシスタントという職位の管理職~

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 おはようございます。 未明の須崎の朝、 今日も晴天のようですね。 来週は早11月、 なんだかんだ気忙しくなる季節になりますね。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 コンピュータ前のIBMは、 ようやく中堅企業と言えるかという程度の、 小さな会社だったが、 行なっていることはユニークだった、 とした。 そして、 このIBMは1930年代の大恐慌の頃、 レイオフを行わず、 人を哉にするくらいならば 倒産の危険を冒してよしとしていた、 と続ける。 さらに、 工場労働者に週給ベースあるいは 月給ベースで給与を支払い、 社員の再訓練に力を入れていた、 とする。 「現場監督などいなかった。  アシスタントという職位の  かつての管理職の助けを得て、  チームで仕事をしていた。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■コンピュータ前のIBM■~会社ストーリーは中傷とは違う~

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 おはようございます。 未明の須崎の朝、 茜に染まり始めた空には、 雲は見当たりません。 今日も晴天のようですね。 しかし、夜明が段々と遅くなりました。 季節は着実に移ろってるんですね。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーがかつて、 GMの広報責任者のポール・ギャレットに 最大の仕事は何かと聞いた時に、 彼は『フォーチュン』を 遠ざけておくことだと答えた、 とした。 そして、 『フォーチュン』の編集者や 記者に記事を書かせないための 説得工作や買収まがいの話は 当時よく耳にしたものだ、 と続ける。 ドラッカーは、 それにしても、 IBMの記事を書いたその新人記者は、 この会社ストーリーが 中傷とは違うことを知らなかった、 とする。 「コンピュータ前のIBMは、  ようやく中堅企業と言えるかという程度の、  小さな会社だった。  しかし、行なっていることはユニークだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■基本的には反企業の立場■~遠ざけておくこと~

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 おはようございます。 青空に明るい雲が ところどころに浮かぶ、 須崎の朝です。 今日も気持ちの良い天気となりそうです。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『フォーチュン』についてのルースの考えは、 企業をアメリカの現実としてとらえ、 正面から分析しようということだった、 とした。 しかし、ルースが始めた 会社ストーリーは、 その後の 調査報道なるものの原型 となったものであり、 基本的には反企業の立場に立っていた、 と続ける。 したがって、 『フォーチュン』に取り上げられることは、 企業にとって頭痛の種以外の何物でもなかった。 「私はかつて、  GMの広報責任者のポール・ギャレットに  最大の仕事は何かと聞いたことがある。  答えは「『フォーチュン』を  遠ざけておくこと」だった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■『フォーチュン』の会社ストーリー■~切り口も中身も間違い~

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 おはようございます。 快晴、 朝焼けが段々と青色に変化してきた、 須崎の朝です。 昨日は雨降りの寒い一日でしたが、 今日からはしばらく晴れ、 気持ちの良い天気が続きそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 引き受けさせられた 『フォーチュン』定期号用の記事には、 IBMとトーマス・ワトソン・シニアについての 会社ストーリーがあったが、 それは入社したばかりの若い記者が書いたもので、 彼にとっては初仕事だった、 とした。 しかし誰も彼の面倒を 見てやっていなかったためもあって、 それはひどい出来だった、 と続ける。 ドラッカーは、 切り口が間違っており、 中身が間違っていた、 とする。 「今日の『フォーチュン』は  企業側に立って書いているが、  当時は企業を槍玉に挙げて書いていた。  ルースの考えは、  企業をアメリカの現実としてとらえ、  正面から分析しようということだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■IBMとトーマス・ワトソン・シニア■~若い記者の初仕事~

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おはようございます。 雲が空を覆う高知の朝です。 今日は一日こんな天気、 明日からはまた好天となりそうです。 月曜日、今週も一週間よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『フォーチュン』の10周年記念号は、 印刷に回す頃合いとなって、 ほとんど何も進んでいなかったことが分かり、 ルースはドラッカーに助けを求めてきた、 とした。 そこでドラッカーには、 大きな記事のうち、 農業に関するものと 労働市場に関するものの執筆と、 いくつかの記事の編集、 さらには10周年記念号の しわ寄せで作業の遅れている 定期号用のいくつかの記事の編集を頼んできた。 こうしてドラッカーたちは、 二か月間というもの、 昼夜の別なく働き、 10周年記念号と 直近の定期号の いずれも締め切りに間に合わせたのだった。 「私が引き受けさせられた定期号用の記事には、  IBMとトーマス・ワトソン・シニアについての  会社ストーリーがあった。  入社したばかりの若い記者が書いたもので、  彼にとっては初仕事だった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ほとんど何も進んでいなかった。■~ドラッカーのスクラップブック~

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おはようございます。 今朝も快晴の高知です。 秋の好日、外歩きには良さそうな休日ですね。 日曜日、良い一日になりますように。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『フォーチュン』の10周年記念号は、 定期号とは一味も二味も違うものになるはずだった。 アメリカ経済についての大きな記事を12本、 比較的短い記事を8本、 計20本で構成することになっていた、 とした。 そして、 『フォーチュン』の10周年記念号の 目次案は、ルース自身が何人かの 編集者と練り上げ、 ダベンポートに渡されていた、 とする。 それから半年経ち、 あと数週間で印刷に回す頃合いとなって、 ルースが進捗状況をチェックしてみたところ、 ほとんど何も進んでいなかった。 大きな記事の何本かは、 外部のライターに 原稿依頼さえしていなかったが、 ルースがドラッカーに助けを求めてきたのは、 この時点だった。 「ルースは、  私が書いたもののスクラップブックを持っており、  私が何についてすでに調査し、  分析しているかを知っていた。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■スケジュール表は頭の中■~一味も二味も違うもの~

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 おはようございます。 快晴の高知の朝です。 空気はきりっと肌を刺しますが、 日差しはさすがの高知、 相変わらず厳しいですね。 土曜日、良い週末をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースの雑誌はすべて あまりに複雑化していたため、 スケジュール表なしでは制作不可能だったが、 ダベンポートだけは、 それらのスケジュール表を使わなかった、 とした。 そして、ダベンポートは、 スケジュール表は頭の中にある ということを口癖にしていたが、 彼の頭にはそのような場所はなかった、 とする。 しかし彼は、 昔からのルースの仲間だったため、 ルースは彼を編集長にし、 編集長としての能力を著しく欠いた彼を そのまま据え置いていた。 「『フォーチュン』の10周年記念号は、  定期号とは一味も二味も違うものになるはずだった。  アメリカ経済についての大きな記事を12本、  比較的短い記事を8本、  計20本で構成することになっていた。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ガントチャートの導入■~管理能力の欠如~

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 おはようございます。 寒空は雲に覆われてますが、 これから雲が取れ、 晴れの一日になりそうです。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『フォーチュン』の 編集長ラッセル・ダベンポートは、 寛大で優しい人柄でもあったが、 月刊誌の編集長には まったく適していなかった、 とした。 そして彼には、 スケジュールを 管理する能力はまったくなかったが、 ルースの雑誌は、 いち早くガントチャートを導入し、 もはやガントチャートなしでは 発行できなくなっていた、 と続ける。 ドラッカーは、 ルースの雑誌はすべてあまりに複雑化し、 スケジュール表の利用こそ、 雑誌制作に対する ルースの最大の貢献といってよかった、 とする。 「もちろん『フォーチュン』は、  スケジュール表に従って制作されていた。  ところが、ダベンポートだけは、  それらのスケジュール表を使わなかった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■人を感動させる名文家■~計画を立てられない~

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 おはようございます。 雲が寒空を覆う須崎の朝です。 今朝は冷え込んで、 はじめて暖房のスイッチが必要でした。 このまま冬に突入するんでしょうかね。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『フォーチュン』の創刊10周年記念号は、 行なうべき仕事を 行なうことのできない 昔からの仲間を 辞めさせることが できないために、 流産の憂き目を見るところとなった、 とした。 そして、 その仲間とは 『フォーチュン』の編集長 ラッセル・ダベンポートで、 彼は人を感動させる名文家だった、 と続ける。 彼は適切な言葉を探し、 文章を整えるために 人の原稿に時間をかける 名編集者で、 ユーモアに富む寛大で 優しい人柄でもあった。 「しかし月刊誌の編集長には  まったく適していなかった。  計画を立てられず、  人に任せられず、  部下を監督できなかった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■流産の憂き目を見る■~辞めさせることができない~

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おはようございます。 青空に浮かぶ雲が 朝陽に染まる須崎の朝です。 急に秋が深まり、 布団なしでは寝られなくなりました。 しばらくこの調子で晴れが続きそうです。 寒さ対策も必要です。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ちなみに、写真は昨晩の名月です。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『フォーチュン』の創刊10周年記念号は、 まさにルースの子供であって、 自らが最大の業績とするものの 記念碑となるものだった、 とした。 そして、 記念号の発行を思い付き、 計画を立て、 実行の先頭に立ったのも ルース本人だった、 と続ける。 しかし今度もまた、 それまで何度も起こったのと 同じ理由で、 せっかくの子が、 流産の憂き目を見るところとなった。 「それは、  行なうべき仕事を  行なうことのできない  昔からの仲間を  辞めさせることが  できないためだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■スタイルのほうが重要■~最大の業績とする記念碑~

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 おはようございます。 快晴の須崎の朝です。 さすがの高知も昨日は 晩秋の寒さでした。 今日はいくらか気温が上がりそうですね。 衆議院選挙が今日公示され、 31日投開票となる。 このところのモヤモヤを 一掃する選挙になってほしい。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『フォーチュン』はルースの 好みによる雑誌でもあり、 自ら書き、自ら編集することが、 彼の最大の楽しみだった、 とした。 そして、 『フォーチュン』のグラフィックスは、 ルースの構想によるもので、 彼にとっては、 スタイルのほうが内容よりも 重要だった、 と続ける。 ルースは、 『フォーチュン』の 日常の雑誌づくりから 手を引いた後も、 美術部に入り浸って、 アーティストたちと 時間を過ごしていた。 「したがって  『フォーチュン』の創刊10周年記念号は、  まさにルースの子供であって、  自らが最大の業績とするものの  記念碑となるものだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■有力者として影響力を持つこと■~『ライフ』は彼を有名にした~

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 おはようございます。 東の空が茜色に染まり、 朝焼けがきれいな高知です。 今朝は冷え込みました。 日中も20度そこそこで、 肌寒い一日になりそうですね。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『フォーチュン』はルースの 人生設計上も大きな意味を持っていた、 とした。 そして、第三の雑誌『ライフ』は、 彼を40歳前に有名にしたが、 有名になることもまんざらではなかった、 と続ける。 ドラッカーは、 ところが『フォーチュン』は、 彼を有力者にするもので、 有力者として影響力を持つことこそ、 彼が本当に願っていたことだった、 とする。 「『フォーチュン』は  彼の好みによる雑誌でもあった。  したがって、  『フォーチュン』のために自ら書き、  自ら編集することが、  彼の最大の楽しみだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■人生設計上も大きな意味■~金持ちもまんざらではない。~

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 おはようございます。 どんより曇り空の高知の朝です。 これからだんだん晴れ間が増えそうですが、 気温はぐっと涼しく、 25度を超えないみたいですね。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『タイム』はルースと ブリトン・ハッデンとの 共同事業としてスタートしたが、 世間の注目を集めたのは、 明るく派手なハッデンのほうだった とした。 そして、ルースが名実ともに 『タイム』のオーナーになったのは、 1929年にハッデンが急死し、 ルースがその持ち分を買い取ってからだった、 と続ける。 ところが1930年創刊の 『フォーチュン』のほうは、 構想から制作まで、 名実ともにルースのもので、 あの大恐慌の渦中にあって、 創刊後最初の二年間、 取材陣と編集陣を構築し、 編集とグラフィックスの方針を定め、 自ら編集し、流通まで面倒を見た。 「『フォーチュン』は、  ルースの人生設計上も大きな意味を持っていた。  『タイム』は、彼を三〇歳前に金持ちにした。  金持ちになることはまんざらではなかった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ブリトン・ハッデンとの共同事業■~『タイム』の編集と出版~

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 おはようございます。 曇り空、薄暗い須崎の朝です。 今日はだんだん雨、 明日位から気温が下がりそうですね。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースから『フォーチュン』 創刊10周年記念号の救出 という仕事が持ち込まれたが、、 それはかなり面白くしかも 勉強になった仕事だった、 とした。 そして、 『タイム』は1923年、 エール大学の同級生 ブリトン・ハッデンとの 共同事業としてスタートしていが と続ける。 、 しかし『ルースとその帝国』(1972年)の著者で ルースに批判的なA・W・スワンバーグさえ、 『タイム』の編集と出版は ほとんどルースが一人でやったことを 認めているが、 建前的には二人は対等だった。 「むしろ世間の注目を集めたのは、  貧しい中国への宣教師の子として  終始負い目を持っていた  内気なルースではなく、  明るく派手なハッデンのほうだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■『フォーチュン』の救出■~最も愛着を持っていた雑誌~

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 おはようございます。 青空が広がる須崎の朝です。 今日も一日晴れ、 スッキリた天気になりそうです。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースからの直属のスタッフとして 特定の仕事抜きで 高給を払いたいとのオファーに ノーと言うだけの分別は持っていた、 とした。 しかしルースは、 簡単には諦めなかった、 と続ける。 そして、 一年後、彼は別の仕事を持って来たが、 それは、ドラッカーの職業人生でも、 かなり面白く、 しかも勉強になった仕事だった、 とする。 「それは1940年、  暗礁に乗り上げていた  『フォーチュン』創刊10周年記念号の  救出だった。  『フォーチュン』は、  ルースが最も愛着を持っていた雑誌だった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ノーと言うだけの分別■~働いてみて達した結論~

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 おはようございます。 青空の所々に 淡い雲が浮かぶ須崎の朝です。 10月も中日となりましたが、 高知の日射はきつく、 今日も日向では30度近くになりそうです。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースは『タイム』などに 才能ある人を大勢雇ったが あまりに高給を払いすぎて、 彼らを生殺しにしていた、 とした。 そして、 自分自身がそのルースの金に 抵抗する力や分別があったのかは 疑問だった、 と続ける。 ドラッカーは、 それに抵抗できるような者は いるはずはなかったと考えるが、 それは決して負け惜しみではなく、 『タイム』の人たち何人かと 働いてみて達した結論でもあった、 とする。 「いずれにせよ、  ルースが、社内の抵抗に手を焼きつつも、  私の断りに対し、  彼直属のスタッフとして  特定の仕事抜きで高給を払いたい  と言ってきたときには、  ノーと言うだけの分別は持っていた。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■知的に破綻していた■~高給で生殺しに~

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 おはようございます。 雲の多い須崎の朝です。 今日は一日曇り、 しかし日中は30度近くになり、 10月としては記録的な 暑さになりそうです。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『タイム』の共産党員とそのシンパは、 意図せずに私を救ってくれたのだと 思えるようになるには、 数か月を要した、 とした。 そしてもし彼らがいなければ、 ドラッカーとしても 『タイム』で働くことになり、 そうなれば当然知的に破綻 していたと思う、 と続ける。 ルースは、 『タイム』『フォーチュン』『ライフ』に 才能ある人を大勢雇ったが 彼らのすべてが、 ひとたびルースに雇われるや、 何も生み出せなくなった。 「退職してさえ生み出なくなった。  ルースは、あまりに高給を払いすぎて、  彼らを生殺しにしていた。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■物議を醸す意図■~書くことは露出的行為~

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 おはようございます。 未明の須崎の朝、 雲が多そうです。 昨日は一時、 本格的な雨が降りましたが、 稲刈りの農家も多い時期、 今日は大丈夫そうですね。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 もし、『タイム』の取材と編集の方法に疑念を 持っていなかったとしても、 社内の様々な相手と長期戦を 戦い抜く気力はなかった、 とした。 そこでドラッカーは、 ルースに、 『タイム』に入るという話は なかったことにしてほしい旨を 伝えた。 ドラッカーは、 ものを書くことは 露出的な行為だと承知しているし、 本を出すことは攻撃してくれと 言うに等しく、 しかもそもそも物議を醸すことを 意図していた、 とする。 「しかし、それでもやはり、  『タイム』の共産党員とそのシンパは、  意図せずに私を救ってくれたのだと  思えるようになるには、  数か月を要した。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■反共の名の下に■~長期戦を戦い抜く気力~

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 おはようございます。 薄曇りの高知の朝、 浮かぶ雲が茜色に染まっています。 今日はだんだん下り坂、 雨も降りそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 今日のアメリカ人は、 当然のことではあるが、 あのマッカーシー旋風を恥じている、 とした。 しかしわれわれは、 ブラックリストなるものは、 1930年代に アメリカの共産党員と そのシンパによって、 アメリカの学界、 報道界、マスコミに持ち込まれ、 広く使われたものだったことも 忘れてはならない、 と続ける。 マッカーシーは、 他のあらゆることと同様、 反共の名の下に 共産党が行なったことを 行なったにすぎなかった。 「もし、私が『タイム』の取材と  編集の方法に疑念を  持っていなかったとしても、  私には、社内の抗争に加わるとか、  三面戦争、  すなわち留任を当然とするゴールズボロ、  自分たちの誰かの昇格を望む編集者たち、  共産党員とそのシンパを相手とする  長期戦を戦い抜く気力はなかった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■マッカーシー旋風は恥ずべきこと■~忘れられし者ではない~

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 おはようございます。 朝焼けが東の空を染める 高知の空です。 午後には少し雲が出そうですが、 高知は日差しが強烈、日向は暑くなります。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 まだ無名であった自分自身が書いた 『「経済人」の終わり』が これほどの反応を引き起こしたのは、 ウィンストン・チャーチルの 推薦のおかげだそうだだった、 とした。 もちろん、 まだ当時はチャーチルの時世ではなく、 対ヒトラー宥和論が幅をきかせていたが、 すでにチャーチルは、 数年前のような忘れられし者ではなくなっていた、 と続ける。 従って、彼らは、 ドラッカーと、その著作をチャーチルが 推薦するからには、 馬鹿にして放っておくわけには いかないものになっていたのだ。 「われわれ今日のアメリカ人は、  当然のことではあるが、  あのマッカーシー旋風を恥じている。  たしかに恥ずべきことだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ウィンストン・チャーチルの推薦■~反ドラッカー・キャンペーン~

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 おはようございます。 薄っすらと青空に霞がかかったような 須崎の朝です。 今日も概ね晴れの様です。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『「経済人」の終わり』が出版されるや、 ただちに『タイム』の共産党員と そのシンパの作成したブラックリストに名前を 載せられてしまったのだった、 とした。 そして、『デイリー・ワーカー』などは、 長文の記事を掲載し、 ピーター・ドラッカーなる人間は存在せず、 某ナチス高官とアメリカ国務省高官の 二人組のペンネームであることを証明していた、 と続ける。 タス通信のワシントン支局長ラリー・トッドは、 ドラッカーを報道界と 学界から締め出すための 反ドラッカー・キャンペーンを展開したが、 彼はクレムミンの指図なしには 何もできないことで有名な男だった。 「私のような無名の者の手になる本が、  これほどの反応を引き起こしたのは、  後にルースから聞いたところによれば、  ウィンストン・チャーチルの推薦のおかげだそうだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■私のブラックリスト入り■~『タイム』の共産党関係者が作成~

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 おはようございます。 今朝は雲が空を覆い、 薄暗い須崎の朝です。 今日はこんな感じで、 時々晴れ間ものぞきそうですね。 昨晩東京で久しぶりの大きな地震発生、 巨大地震の予兆との見方もあり、 気を付けましょう。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『タイム』の国際面の編集者 ゴールズボロは、 最後は、タイム・ライフ・ビルの窓から 飛び降り自殺した、 とした。 そのうえドラッカーの名前は、 『タイム』の共産党関係者が作成した ブラックリストに載っていた、 と続ける。 ドラッカーが 『「経済人」の終わり』において ヒトラーとスターリンが 手を組むと予測したのは 1939年の春であって、 実際に独ソ不可侵条約が結ばれる 半年前だったのだ。 「したがって私は、  本が出版されるや、  ただちに共産党員と  そのシンパの作成した  ブラックリストに名前を  載せられてしまったのだった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■神経衰弱になったゴールズボロ■~ルースの思いとは裏腹に~

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 おはようございます。 未明の須崎、 東の空が朝焼けに染まっています。 今日も快晴、 日中は30近くになりそうですが、 日陰に吹く風は肌寒く感じる時もあります。 体調を崩しやすい人が増える時期ですが、 今年は少ない様です。 コロナ予防効果でしょうかね。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースの管理スタイルに対して違和感を持っていたが、 申し出をお試しで受け入れることにした。 しかし、ルースの思ったようには ならなかった、 と続ける。 『タイム』の編集者たちは、 ゴールズボロの退任を望んでいたが、 本人に退任の意思はなく、 ルースにも、 古くからの仲間を辞めさせた 経験はなかった。 ドラッカーは、 事実、ルースが ゴールズボロを辞めさせたのは、 彼が神経衰弱になってからのことだった、 とする。 「可哀想に彼は、  最後は、タイム・ライフ・ビルの窓から  飛び降り自殺してしまった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ルースの管理スタイル■~よぼよぼの愛犬がドイツ・シェパードに~

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 おはようございます。 窓から見える小山の上には、 青空が広がっています。 今日も快晴、日中はまだまだ30度を超えそうです。 朝晩の気温差にお気を付けください。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ルースご自慢の調査専門では、 書き手は調査をしなかったため、 現場を知らずに書き、 リサーチャーは 全体の文脈を知らされなかったので、 間違いが起こるのは当然だった、 とした。 そして、その実態を目にすることとなった。 特集そのものは、 朝鮮戦争の勃発によって 掲載されなかったが、 ドラッカーが目にした校正刷りでは、 ドラッカー家の目と足の不自由な よぼよぼの愛犬が獰猛な ドイツ・シェパードに、 食堂の子供用のピアノが 音楽室のグランドピアノにされていたのだ。 同時にドラッカーは、 ルースの雑誌での内部抗争や、 編集者同士を対立させるという ルースの管理スタイルも耳にしていた、 とする。 「しかし、申し出は魅力的だった。  そこで私は試してみることに同意した。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■『新しい社会と新しい経営』の出版■~全体の文脈を知らされなかった~

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 おはようございます。 未明の高知、空に雲はなさそうですね。 今日も晴れ、 日中は暑くなりそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ P.■『新しい社会と新しい経営』の出版■~全体の文脈を知らされなかった~ ドラッカーは、 ルースのグループ・ジャーナリズムは、 均質化による没個性化を行なっていたため、 逆に不正確になり偏りが生まれていた、 とした。 そして、ルースご自慢の新機軸は、 調査専門のリサーチャー制度で、 リサーチャーは全員女性だった、 と続ける。 書き手は調査をしなかったため、 現場を知らずに書き、 他方、リサーチャーは 全体の文脈を知らされなかったので、 間違いが起こるのは当然だった。 「私自身、ずっと後の1950年、  『タイム』が私の新著『新しい社会と新しい経営』  の出版に合わせて私を特集したとき、  そのよい例を目の当たりにすることになった。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■鉄の鞭を持つ独裁者■~均質化による没個性化~

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 おはようございます。 快晴、すでにまぶしい陽が射す高知の朝です。 今日も晴れ、 日中は暑くなりそうです。 月曜日、今週も一週間よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 一流の編集者は寛大ではなく、 勝手に書かせることはなく、 自分たちのスタイルを守った、 とした。 そして、鉄の鞭を持つ、 病的なまでの独裁者で、 書き直させ、 切り捨て、 かくあるべしというところまで 手を入れた、 と続ける。 あるときノエル・ブレイスフォードが、 ドラッカーに言ったところによれば、 『マンチェスター・ガーディアン」の 老スコットは、 論説に手を入れただけでなく、 迷子のペット捜しの広告に至るまで、 文法、簡潔さ品格を追求したという。 「これに対し、  ルースのグループ・ジャーナリズムは、  均質化による没個性化を行なっていた。  そのため、逆に不正確になり偏りが生まれていた。」 (Ⅲ アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■『タイム』の問題点■~一流の編集者は寛大ではなかった。~

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おはようございます。 青空が広がる高知の朝です。 今日も一日晴れ、 日中は30度超え、 朝晩は秋、日中は真夏です。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーはルースから 好待遇の『タイム』の国際面編集者のスカウトを受けたが、 『タイム』のやり方に対しては、 あまり感心していなかった、 とした。 そして、ルース考案の グループ・ジャーナリズムなるものは、 ドラッカーには間違いに思えていた、 と続ける。 ドラッカーは、 自分が知っている 一流の編集者は、 すべて自分で読み、 編集し、書き直していた、 とする。 『ニューヨーカー』の ハロルド・ロスがそうであり、 1910年から30年にかけて 『サタデー・イブニング・ポスト』 の基盤をつくったホレス・ロリマーが、 『マンチェスター・ガーディアン』の老スコットが、 『ベルリナー・ターゲスブラット』のテオドール・ヴォルフが、 1870年代の ロンドンの『ザ・エコノミスト』の ウォルター・バジョットがそうだった。 「一流の編集者は寛大ではなかった。  勝手に書かせはしなかった。  自分たちのスタイルを守った。」 (Ⅲ アメリカの日々  12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■『タイム』のやり方■~誰でもなりたい仕事~

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 おはようございます。 薄っすらとした雲が青空にかかる 須崎の朝です。 昨日の日中は真夏の暑さでしたが、 今日も一日晴れ、 暑い日差しとなりそうです。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ルースはドラッカーに、 『タイム』の国際面の 編集者をやらないかとして、 その根拠として、 ドラッカーの記事を全部読んでいると 説明した。 それをドラッカーがざっと見たところ、 どのページにもルースのメモが 書き入れてあり、 随分と気持ちを引かれる申し出だった、 と続ける。 『タイム』の国際面の編集者といえば、 もの書きならば誰でもなりたい 仕事の一つであり、 報酬も桁はずれに良く、 不況のあの頃としては、 問題にされてもおかしくない高給だった。 「当時私の身分は不安定だったし、  収入もわずかだった。  しかし、私は疑問を持っていた。  『タイム』のやり方は調べてあった。  あまり感心したものではなかった。」 (Ⅲ アメリカの日々  12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■宿題はやってくる質■~新聞と雑誌に書いた記事の全部~

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 おはようございます。 青空が広がる須崎の朝です。 今日も一日晴れ、 日中は30度超え、 朝晩は秋、日中は真夏です。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ルースはドラッカーに、 『タイム』の国際面の 編集者をやらないかと言った。 それに対してドラッカーは、 ルースはこの本のこと以外、 ドラッカーのことは 何も知らないのではないか、 と答えた。 、 しかしルースは、 いつも宿題はやってくる質だからと言って、 鞄から二つのフォルダーを 引っ張り出してドラッカーに手渡した。 そして、次のとおり説明した。 「こっちの厚いやつは、  あなたがこちらへ来てから、  イギリスの新聞に書いた記事の全部と、  イギリスの金融機関に送った  月次報告の全部です。  こっちの薄いほうは、  あなたがアメリカの新聞と  雑誌に書いた記事の全部です」 (Ⅲ アメリカの日々  12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)