■難民学者とアメリカの大学■~新たな価値観、声、顔~
おはようございます。
明るい日差しの高知の朝です。
今日もこのまま晴れの一日になりそうですね。
しかし、高知の日差しはきつい、
この時期でこれ、この先どうなるのだろう。
金曜日、今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
アメリカの黒人問題が、
黒人の権利問題よりも、
白人の良心の問題であることを
認識させたものが、
マリアン・アンダーソンの声だった、
とした。
そして、
このような不況時代の激動の中へ、
ある者は嬉々として、
ある者は消沈して、
いずれもわけのわからない言葉を発して、
ドイツ、オーストリア、ハンガリー、
チェコスロバキア、
そして数は少なかったが
スペインとイタリアから、
難民学者がアメリカに押し寄せた、
と続ける。
さらに、これらの学者を吸収し、
仕事をあてがうことを可能にしたものが、
この不況に伴うアメリカの激動であり、
一方で、イギリスに向かう者は、
どちらかといえば功成り名遂げた
年輩の学者たちであった、
とする。
「しかし彼らは、
イギリスの大学には
さしたるインパクトを与えなかった。
ところが、アメリカへ来た難民学者は、
アメリカの大学が、
新たな価値観、方法論、声、顔を求めているところへ
到着したのだった。」
(3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)
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