■講演旅行は大変ではあった■~アメリカ全土を股にかけ~

 おはようございます。


明るい陽が差し始めた

高知の朝です。


今日も一日晴れそうです。


関東地方は梅雨入り、

こちらも来週あたりでしょうか。


火日、今日も一日よろしくお願いします。


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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬




ドラッカーは、

ひとたびヨーロッパで

戦争が始まれば、

自分自身の在アメリカの仕事も

なくなるおそれがあった、

とした。



そしてそこでドラッカーは、

書き手としての仕事の基盤を

アメリカに移すとともに、

講演者としての仕事を

増やすことにした、

と続ける。



こうして、アメリカが

参戦した頃には、

ドラッカーは

アメリカ全土を股にかけ、

年間50回から60回

というペースで講演をしていたが、

その少なくとも半分が、

小さな単科大学でのものだった。







「講演旅行は大変ではあった。


 ニューオリンズからジャクソンビルへ、


 アイオワのダビュークから


 ノース・ダコタのファーゴへという、


 その頃の寝台列車での旅は相当に疲れた。


 オハイオのグラティスや、


 ネブラスカのベアトリスで


 雪に閉じ込められたこともあった。」









(3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)

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