■成果をもたらすための手段■~仕事に使われて意味をもつ。~

おはようございます。

快晴の川崎の朝です。

痴呆症鉄道事故事件で、
最高裁は無罪判決を出した。

介護家族や別居家族の
責任は問わないとの判決。


当然のことと思う。
個人の問題ではなく、
社会の課題と
とらえなければならないいんでしょう。
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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬



ドラッカーは、19世紀までは、
知識と行為は無関係のものであったとした。

ところが今日では、
知識とその探求は、
専門分野別ではなく
応用分野別に組織されるようになった。

学際研究が急速に進展し、
研究組織も、アフリカ問題、
ソ連問題、都市問題など
応用分野別となった。

それらの組織には、経済学、
精神病理学、農学、美術史に至る
多様な専門分野から人が集めら、
学際研究が大学に活力を与え、
その方向を決めている。

これは、知識が自らを
最終目的とするものから、
何らかの成果をもたらすための
手段に移行したことの
必然の結果である。

これまで知識とされていたものは、
単なる情報にすぎないことになった。


「今や、かつて技術とされていたものこそが知識である。

 現代社会の動力源としての知識は、

 適用され仕事に使われて初めて意味をもつ。

 仕事は、専門分野によって

 定義することはできない。

 目的は、常に学際的たらざるをえない。」


~『イノベーターの条件』
(Part4 問われる知識と教育 1章 知識の政治学)









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