■ルーズベルト政権の依頼■~講演会の取り消し~
おはようございます。
雲は浮かんでますが、
所々に青空がのぞく川崎の朝です。
今日は夏至、昼間が一番長い日、
夏の始まりですね。
暑くなりそうです。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
ブレイスフォードはアメリカの
左翼知識人に影響力があったため、
彼の共産主義との決別は、
共産主義の敵として非難中傷の的になった、
とした。
そしてまた、
アメリカのある有名大学などは、
ブレイスフォードの講演会を
企画していたところ、
キャンパス内外の
共産主義者とそのシンパからの圧力によって、
招待を取り消さざるをえなくなった、
と続ける。
ドラッカーは、
1941年の春、
大学、マスコミ、知識人などの
ニューディール支持層の
孤立主義的傾向に驚いたルーズベルト政権は、
イギリス政府に依頼して、
長年彼らに影響力のあった
ブレイスフォードを
講演旅行に引っ張り出した、
とする。
「ブレイスフォードは
喜んで依頼に応じた。
ようやく彼も何かを
できることになったのだった。」
(Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)
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