■マイスキーの役割■~連立政権の一員~
おはようございます。
今朝も曇り空、
日中は時々晴れて、気温上昇、
水分補給に注意が必要です。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
教育ある若者の間で、
知られていた
ブレイスフォードのソ連支持は、
いかなる宣伝にも勝っていたため、
在イギリスソ連大使マイスキーは、
彼の離反を防ぐことに
全精力を傾注していた、
とした。
そして、
マイスキーは、
亡命者として第一次大戦前から
ロンドンにいたが、
その間にブレイスフォードと
親しくなった、
と続ける。
ドラッカーは、
あるときブレイスフォードが
洩らしたところによれば、
マイスキーは、
ブレイスフォードの口ききで、
『マンチェスター・ガーディアン』から
調査の仕事をもらっていたことがあった、
とする。
「マイスキーは、
レーニンとボルシェビキに対立する
多数派のメンシェビキだった。
一九一七年の総選挙では
このメンシェビキが圧倒的な勝利を収め、
マイスキーは、同年の10月に
ボルシェビキの蜂起によって倒されるまで、
連立政権の一員となっていた。」
(Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)
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