■反戦キャンペーンのおかげ■~国際面担当の編集者~
おはようございます。
晴れてますが、肌寒い朝です。
今日は憲法記念日、
静かな休日です。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
プレイスフォードは、
激烈な反戦争論者へと変身し、
学究としての将来は消えたが、
彼の反戦論文の数々が、
『マンチェスター・ガーディアン』の名編集者、
老スコットの目を引いた、
とした。
そして、
同紙が地方紙から
全国紙へと成長したのは、
この反戦キャンペーンの
おかげだった、
と続ける。
ドラッカーは、
老スコットは、
ブレイスフォードを
国際面担当の編集者として
迎え入れたところから、
ブレイスフォー ドの名は
全国に知られるところとなった、
とする。
「ちょうどその頃、イギリスは、
エリザベス一世以来の長い伝統を破り、
平時としては、
初めて大陸の大国と同盟を結んだ。
最初がフランスであり、
次がロシアだった。」
(Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)
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