■ドイツ帝国への索制■~少数派の反体制の立場~
おはようございます。
快晴の朝です。
今日は一日晴れ、
にわか雨の心配はないようですね。
火曜日、今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
スコットによって、
ブレイスフォードは、
国際面担当の編集者として
迎え入れらたが、
その頃イギリスは、
平時としては初めて、
大陸の大国と同盟を結んだ
とした。
そして、それは自由党政権下での
政策だったが、
その自由党系の
『マンチェスター・ガーディアン』の
国際面担当の編集者が、
それらの同盟を、
戦争を防止するどころか
誘発するものとして攻撃した、
と続ける。
ここでも彼は、
少数派の反体制の立場に立ったが、
それはちょうど、
イギリスが自らの衰えを
自覚しはじめた頃で、
工業力と軍事力において
急速に力をつけつつあった
ドイツ帝国を索制するための同盟政策は、
全党派の支持するものだった。
「こうしてプレイスフォードの名前は、
不人気なものとしてではあったが、
広く世に知られるところとなった。」
(Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)
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