■舞台の袖に立つ■~見えないものが見える~
おはようございます。
曇り空の高知の朝、
日中は晴れ間も出そうで、
雨の心配はなさそうですね。
今日は放送大学の入学者の集い、
学びなおし始めます。
日曜日、良い休日をお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
クレイムズは、
ドラッカー自身は
人々の関心を引くような人生を歩んでおらず、
回想録の執筆には値しない、
とも述べている、
とした。
ドラッカーは、
傍観者はみずから
歴史をつむぐのではなく、
歴史の舞台に居合わせてはいても、
行動の一端を担うわけではないのだ、
とする。
そして、傍観者は観客でさえなく、
劇の成否や舞台を務める
ひとりひとりの運命は、
観客の反応にかかっているが、
傍観者は自分以外に対しては
いっさい影響をおよぼさない、
と続ける。
「ただし、
舞台の袖に立っているため、
役者や観客には見えないものが見える。
しかも、同じものを見る際にも違った見方をする。」
(『ドラッカーへの旅 知の巨人の思想と人生をたどる』 エピローグ)
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