■一級通訳の給与250ドル■~涙を流さん喜びよう~
おはようございます。
曇り空、肌寒い高知の朝です。
この空も、
午後には段々と晴れてきそうですね。
良い休日をお過ごしください。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、1938年のはじめの
移民局の係官とのやり取りを、
お人好しの小春日和のアメリカを
象徴するものとして、
今でもよく覚えている、
と言った。
そしてドラッカーの月収は
当時250ドルほどだったが、
移民局の係官が押し付けた書類によると、
一級通訳(外国語二か国語、大卒)の
月額給与も250ドルだった、
と続ける。
あの係官は気付かなかったが、
前年の収入1800ドルという数字は、
ドラッカーがアメリカで働き始めた
5月以降の前年の収入だったのだ。
そして月収250ドルは、
あの係官も言ったように、
当時としてはかなりよい収入で、
当時のドラッカーの秘書は、
ハンター大の卒業で
三か国語を話したが、
週給25ドルだった、
とする。
「半年後に30ドルに上げたときには、
涙を流さんばかりの喜びようだった。
当時は、タイピストならば
週給15ドルで運がよかった。」
(3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)
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