■学長は代表的リベラル■~教員採用枠の開放~
おはようございます。
ほんのりとした茜雲が
東の空を覆う高知の朝です。
今日は晴れ、
気持ちの良い一日になりそうです。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ニューヨーク大学のチェイス学長は、
赤字対策としてユダヤ人教員に
七割カットを言い渡し、
気に入らなければ辞めていいが、
ユダヤ人では
再就職先はなかなか見つからない、
と言った。
そして、その20年後、
この大学の学部長に就任したドラッカーは、
チェイス学長ご自慢の荒療治の後遺症に
悩まされたが、
このチェイス学長が、
当時の基準では、
自他共に許す代表的リベラルだったのだ、
と続ける。
ドラッカーは、
事実彼は、当時まだ公式には
メソジスト派のものだった同大学で、
理事会の反対を押し切り、
他の大学に先駆けて
ユダヤ人教員を採用したことを
誇りにしていた、
とする。
「面白いことに、
きわめて多くの大学が、
ユダヤ人の入学者数および
アメリカ生まれの
ユダヤ人教員の採用者数を
厳しく制限する一方において、
ドイツとオーストリアから来た
ユダヤ人学者に対しては、
胸襟と財布と教員採用枠を
開放していた。」
(3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)
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